警視庁捜査二課の汚職事件捜査
私自身、現在は消えて無い第6知能犯(詳しく知りたい方はこちら)という部署で汚職事件を担当したことがありますが、検挙することができなかったので、自分の所属する係で汚職事件を立件したことはありません。しかし、麹町警察署知能犯捜査係に勤務していた2005年、捜査二課が衆議院事務局の電話工事発注に絡む汚職事件で贈賄被疑者2名、収賄被疑者1名を逮捕し、その手伝いということで麹町署から捜査二課に派遣されました。
被疑者を逮捕する1週間くらい前から、事件を担当する捜査二課員約40名は、警視庁本部に泊まり込みになります。下着やワイシャツなどは段ボール箱に詰めて宅配便で自宅に送り、奥さんに洗ってもらって送り返してもらっていました。独身の捜査員がどうしていたのかはわかりません。毎日、仕事は日付が変わるまでやっていたようですが、私は応援だったので電車があるうちに帰してもらっていました。
いざ、逮捕となると捜査員は全員殺気だって、事務室の雰囲気が変わりました。取調べ担当の捜査員(調べ官)は毎日午後8時から9時くらいまで被疑者を取調べ、帰ってくると声がかすれて出ない状態でした。今では問題になりますが、当時は汚職事件の取調べでは、特に収賄被疑者である公務員に対しては、大声で怒鳴り散らしてプライドをズタズタにするという手法が当然のこととして行われていたのです。
さて、取調官が帰ってくると、添付資料を含め、何十枚というページ数の被疑者供述調書が上がってきます。被疑者は3人いるので全部で百何十というページ数になります。これを各係、各取調べ官、各係長、管理官、理事官、捜査二課長、検察官など向けに調書1通につき十数セットのコピーを作ります。捜査二課内にあった3、4台のコピー機はフル稼働状態になります。その他の報告書なども同じ数のコピーをするので、コピー機は1日20時間近く、連続稼働の状態になります。なので、3、4台あるコピー機のうち、1台くらいは常に壊れている状態で、メーカーの修理作業員を呼んで直してもらっている間にも、別のコピー機が壊れるような感じでした。
被疑者逮捕後も捜査員の泊まり込みは続きます。逮捕後、20日間の勾留が付きますのでその間も泊まり込みが続きます。捜査員の中には目がうつろになってきている人も出てきます。20日目に被疑者らは起訴猶予となりましたが、即余罪で再逮捕となり、再び20日間の勾留が付きます。このタイミングでやっと捜査員たちは交代で自宅に帰ることができました。「休み」ではありません。夜遅くに自宅に帰れるだけです。翌日は朝早く出勤しなくてはなりません。そして20日後に被疑者らは起訴となり、捜査員たちはやっと休みが取れました。約2か月ぶりの休みです。私は、絶対こんなところで働きたくないと思いましたが、数年後行くことになってしまうのです。
淺利 大輔
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。