告訴事実の書き方29(殺人罪)
殺人罪の告訴事実です。罰則は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役です。未遂及び予備は罰せられます。過失によって死亡させた場合は、刑法第210条過失致死罪となり別罪になります。こちらの罰条は、50万円以下の罰金のみであり、本罪よりかなり軽くなっています。
2010年の刑法改正により、本罪の公訴時効は撤廃されました。よって同年以降発生の殺人事件は公訴時効がなくなり、制度上は永遠に逮捕、送致、起訴が可能となりました。当時、警察内部では「殺人事件の証拠品は永遠に保管しないとならないのか?」という問題が生じましたが、80年保管ということで決着しています(警視庁の場合であり他道府県警はわかりません)。80年という数字は、「80年経てば犯人は生きてないだろう」という理由だそうです。
私が品川区の大井警察署という警視庁の中では小さいほうの警察署にいた平成10年(1998年)に、9月中だけで3件、12月に1件、1年間で4件の殺人事件が発生したことがあり、大井警察署員の間では、この年は長らく「魔の平成10年」と呼ばれていました。最初の事件は、JR京浜東北線大井町駅近くの質店で、店主が日中堂々と強盗殺人の被害にあって刺し殺されるというものでした。当時私は盗犯刑事だったので、同質店には買い取り品の捜査などで何度か行って店主とは顔見知りだったので、発生直後に臨場し、店前で仰向けに倒れ、血だらけになっているのを見た瞬間は衝撃的でした。この事件は特捜本部事件になりましたが、未解決のまま時効を迎えています。
2件目は、JR大森駅に近い品川区立水神公園内で、朝方、顔の一部を2箇所切除された若い男の死体が発見された事件です。切除された部分の1つは近くの植え込みから発見されましたが、もう一つはどうしても見つからず、付近にカラスが多かったことから、カラスがくわえて持っていったものと推定されました。この事件も特捜本部事件になり、以後、質店事件が「第一特捜」、水神公園事件が「第二特捜」と呼ばれるようになりました。
私は、この死体の司法解剖に立ち会いました。全身30箇所くらいを鋭利な刃物で滅多刺しにされていました。途中で担当検察官が、若い司法修習生3名くらいを連れて見学に入ってきました。司法修習生は死体を見るなり、お互いに顔を見合わせてニヤニヤ笑いを始めました。仏さんの前でニヤニヤ笑いするなんて警察官だったらぶっとばされても文句は言えません。私は、彼らを怒鳴りつけたい気持ちをぐっとこらえました。
3件目は、2件目の発覚から数日後、住宅街の駐車場内で腐り始めた若い男性遺体が発見されました。死因は喉をざっくりと切られたことによる失血死でした。9月だけの1か月間に殺人事件が3件発生し、署員は全員言葉を無くし、みな愕然としていました。殺人、死体遺棄事件ですから、本来であればこの事件も特捜本部になるはずでしたが、さすがの警視庁捜査一課も「もう人がいない」ということで、この事件は「準特捜本部」という聞いたことのない体制になり、署内では「第三特捜」と呼ばれました。
余談ですが、この頃、交通部出身だった大井署長は「署の通常業務に支障がある」との理由で、会議室に設置された第三特捜本部を地下の倉庫に移すように指示しました。これを聞いた捜査一課長はカンカンに怒り、刑事部長、警視総監と話しが上がり、大井署長は電話で警視総監から直々に怒られたとのことです。
第二特捜と第三特捜は、思わぬ形で進展しました。捜査員が、第三特捜事件で死体が見つかった駐車場近くにあったアパートの大家に聞き込んだところ「事件発覚後頃から住んでいた中国人の男たちの姿が見えない」との話しが出ました。さっそく、捜査員が部屋を見に行くと、室内には誰もおらず、血痕のようなものもなく、事件とは関係ないと思い始めたその瞬間、何という偶然か、この部屋に住んでいた中国人2名が忘れ物を取りに戻ってきたのです。
捜査員が声をかけると、男らはびっくりした様子で逃げようとしましたが、捜査員ががっちり身柄を確保し、調べた結果、密入国の中国人らしいことがわかり、旅券不携帯で現行犯逮捕しました。
二人は、密入国については認めたものの、殺人事件については何も語りませんでした。出入国管理法違反の事実で、先のアパートの部屋を捜索差押することになり、私は捜査員の一人として参加しました。室内にはこれといって証拠品になりそうなものはなく、捜査員の中には「ここと殺しの事件は関係ないよ。」という者もいました。あきらめムードが漂いはじめ、そろそろガサ終了という雰囲気になったとき、私は押し入れの中にかけてあった上着の内ポケットに紙束が入っているのを見つけました。紙束は手紙らしく、中国語で何かが書いてありました。一応、この紙束を証拠品とすることにして差し押さえ、ガサは終了しました。
鑑識課員がこの紙束をニンヒドリン法により指紋検出したところ、大量の指紋が採取され、その指紋の一部が第二特捜と第三特捜の死体指紋と一致しました。つまり、逮捕された2名と死体の2名は、この部屋に一緒に住んでいたことがわかったのです。後に私は、この功績等により警視総監賞をいただきました。
こうして急転直下、第二特捜と第三特捜は、同じ被疑者らによる連続殺人事件であることが判明し、第二特捜本部と第三特捜本部は統合されました。逮捕された2名は、こらえきれなくなって自供し、事件についてペラペラと話し出しました。
事件の概要はこうです。元々、アパートの部屋には逮捕された2名ともう一人の中国人(全員密入国)との3人で住んでいました。そこへ殺された二人の兄弟(なんと二人の仏さんは兄弟だったのです)が、後から居候として入り込んできました。この二人は家賃を払わない上に、兄(第三特捜被害者)が性格が悪く、非常にいばっていたそうです。そこで先に住んでいた三人は、「兄を殺して捨てよう」と話し合って決めました。弟はおとなしくて性格も良かったそうなのですが、「兄を殺せば弟が警察に知らせるかもしれないから一緒に殺そう。」となりました。まず、弟が、夜中に水神公園に連れて行かれ、金槌で頭を殴られた上に、包丁で滅多刺しにされて殺害されました。身元をわからなくする目的で、顔の肉を包丁で削がれました。兄は、アパート室内で寝ていたところを三人に押さえつけられ、包丁で首をすっぱり切られて殺害されました。血が飛ばないように布団をかぶせたそうです。死んだ兄は駐車場まで運ばれて捨てられました。
事件後、主犯格は一人で大阪に逃亡しました。逮捕された二人の供述等から主犯格の名前や中国の実家の電話番号などがわかりました。所要の捜査の結果、主犯格は大阪のある電話番号から実家に電話をかけていることがわかり、捜査員がその電話近くで張り込み、電話をかけにきた男を逮捕状によって通常逮捕しました。
犯人の取調べにおいて、「犯行再現」をやることになりました。署の道場の中に犯行現場と同じような環境を作り、そこで刑事が被害者役となり、段ボールで作った摸擬包丁を持った犯人が殺害したときの状況を再現し、その状況を写真撮影して報告書にするというものです。私は、この再現捜査で被害者役の兄弟をやることになりました。犯人3人×被害者2人なので、私は6回殺されたことになります。段ボールの模擬包丁とはいえ、実際に人間を刺し殺した犯人らに馬乗りになられて刺される動作をされるので、いい気持ちはしませんでした。
こうして第二特捜第三特捜事件は解決したのですが、第一特捜事件は犯人が捕まらないまま時効を迎えてしまいました。捜査員の間では、第三特捜の被害者が犯人のうちの一人ではないかとの説が最後までありましたが、今となっては永遠の謎です。
こうして二つの特捜本部は捜査を終えて解散され、私は通常の業務に戻りました。そうした激動の平成10年もあと数日となった12月下旬、南大井のマンション内で、JR大森駅近くでスナックを経営していた50歳代の女性が首を絞めて殺されているのが発見されました。再び特捜本部となり、捜査一課からは前回と同じメンバーがぞろぞろとやってきて、私の顔をみるや「またおまえのところか」と嫌みを言われました。この特捜本部は「第四特捜」と呼ばれました。私は、この本部のデスク担当となり、昼は書類のまとめ、夕方から夜にかけては捜査一課の皆さんのための酒の買い出し、つまみの確保に走りました。
事件は、初めから難航しました。被害者が水商売ということで交友関係が多く、客やら同業者やらで登場人物がやたらと多く、いわゆる「筋読み」が困難でした。「筋読み」とは、殺害の目的が「怨恨」なのか「金銭目当て」なのか「性的目的」なのかといった動機面から分析し、犯人像を絞り込む初動捜査の中の一つの手法でした。
常連客の中には、被害者に熱を上げていた者が何人かおり、連日の取調べが行われ、ポリグラフといういわゆる嘘発見器も使われましたが、犯人を特定するに至らず、特捜本部は半年ほどで解散。事件はお宮入りとなり、これまた公訴時効が成立してしまいました。
第一特捜も第四特捜も、今の時代に発生していれば、街のそこら中にある防犯カメラによって早期に犯人が捕まっていたことでしょう。残念でなりません。
包丁を使った殺人事件の告訴事実記載例です。
告訴事実
刑法第199条 殺人
被告訴人は、東京都品川区大井4丁目3番4号大井荘4号室に単身居住していたところ、顔見知りであった山田五郎(当時23歳)が同室に居座って同居するようになったが、家賃や光熱費を一切払わない上、被告訴人に対して命令口調で話すようになったことから憤怒の念を抱き、同人を殺害しようと決意し、令和6年5月7日午後8時0分頃、同室内において、被告訴人所有の刃体の長さ約19センチメートルの出刃包丁1丁を寝ていた前記山田の頸部及び胸部に合計10回にわたり突き刺すなどし、よって、その頃、同所において、同人を心臓等刺創に基づく失血により死亡させて殺害したものである。
ナイフを準備しての殺人予備
告訴事実
刑法第201条
被告訴人は、令和5年10月まで、告訴人(当時28歳)と交際していた者であるが、その頃、告訴人が別れを告げて連絡が取れなくなったことを恨み、告訴人を殺害しようと決意し、令和6年2月5日午後8時40分ころ、東京都杉並区杉並本町2丁目3番5号セブンイレブン○○店前路上において、告訴人を刺し殺す目的で、サバイバルナイフ1本を所持して、告訴人の帰宅を待ち伏せ、もって、殺人の予備をしたものである。
淺利 大輔
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。