阪神淡路大震災で警視庁機動隊が応援に向かった結果【元警視庁刑事のコラム】
阪神淡路大震災で警視庁機動隊が応援に向かった結果とは?衝撃の実話!
阪神淡路大震災と警視庁機動隊の派遣
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災では、多くの被害が発生し、全国から救援活動が行われました。特に警視庁の機動隊も被災地へと派遣されましたが、現場では意外な事態が待ち受けていたのです。
この記事では、当時警視庁機動隊員だった先輩から聞いた実話を元に、震災時の救援活動の裏側をお伝えします。
警視庁機動隊が災害派遣されるも…?
震災発生直後、警察庁から「警視庁第○機動隊は、兵庫県○○警察署に災害対策のため派遣せよ」との命令が下されました。これを受け、選ばれた機動隊の中隊は、大型バス1台に必要な資材を積み込み、兵庫県へと急行しました。
しかし、地震による道路の寸断や渋滞の影響で、目的地に到着するまでに相当な時間を要しました。
兵庫県警の反応に機動隊員も困惑
ようやく兵庫県の警察署に到着した機動隊員たちは、警務課へ行き、正式な到着報告を行いました。
「警視庁第○機動隊第○中隊、警察庁の指示により災害派遣で現着いたしました。ご指示をお願いします!」
当然、歓迎されるものと思っていました。ところが、警察署の係長からは予想外の返答が。
「なに?そんな話、うちは聞いてないぞ。勝手に来られても困るなぁ…。とりあえず、そこらへんにバスを停めて待機してくれ。」
この対応に、機動隊員たちは驚きと怒りを隠せませんでしたが、仕方なくバスの中で待機することになりました。
指示なし・食事なし…機動隊の困難な1週間
「そのうち、交通整理や救助活動の指示があるだろう」と思い、待機を続けましたが、1時間経ち、3時間経ち、10時間経っても指示はなし。
さらに、食事についても「こっちはそれどころじゃないから、自分たちでなんとかしてくれ」と言われてしまいます。仕方なく、隊員たちは慣れない兵庫の街で弁当を探し、自力で食事を確保することに。
その後も1日、2日、そして1週間が経過しても、兵庫県警からの指示は一切ありませんでした。
ついに警視庁へ連絡…そして帰還命令
状況を打開するため、ついに警視庁へ電話で報告。すると、驚くべき指示が返ってきました。
「もう帰ってこい」
こうして、警視庁機動隊はほぼ何もすることなく、東京へ帰還することになったのです。
まとめ:阪神淡路大震災での機動隊派遣の実情
このエピソードから、大規模災害時の指揮命令系統の混乱が浮き彫りになります。阪神淡路大震災は、多くの教訓を残しましたが、災害時の「組織間の連携」の重要性も、その一つと言えるでしょう。
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淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、2024年6月までの32年間、警視庁警察官として勤務し、そのうち25年間を刑事として告訴・告発事件の捜査に携わってきました。
中でも、告訴・告発を中心に扱う知能犯捜査の経験が最も長く、数多くの事件で、実際に告訴状・告発状を受理し、捜査を進めてきました。
刑事部捜査第二課在籍時には、警視庁本庁舎(霞が関)の聴訴室において、告訴状を持参される弁護士の先生方と日々向き合い、
「事件として受理すべきか」「問題点は何か」
その現場の判断基準を、実務の中で徹底的に学び、鍛えられてきました。
だからこそ私は、警察が何を重視し、どこを見て告訴状を判断するのかを、初期段階から具体的に想定しながら作成することができます。
告訴・告発事件については、刑事の中でも専門性を持って取り組んできた分野であり、強い自負があります。
現在は、千葉県犯罪被害者支援センター会員として、
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