立件に非常に苦労した歯科技工士詐欺事件【元刑事のコラム】

ビジネスや日常生活の中で「信じていた取引先に裏切られ、勝手にお金を上乗せされていた」というトラブルに直面したとき、多くの人は「これは詐欺だ!警察に訴えてやる!」と憤るでしょう。

しかし、警察がすんなりと告訴状を受理してくれるケースは決して多くありません。また、仮に受理されても、最終的に「不起訴」で終わってしまう厳しい現実があります。

今回は、私が現役刑事時代に担当した「歯科技工士による無断値上げ詐欺事件」を例に、なぜ詐欺罪の立証がこれほどまでに難しいのか、そして警察の実務の裏側を元刑事の視点から解説します。


1. なぜ警察は「詐欺の告訴状」の受理を渋るのか?

警察に詐欺の相談に行っても、「民事不介入だから」と言われたり、対応を先延ばしにされたりした経験を持つ方は少なくありません。

私がかつて赴任したF警察署の知能犯係でも、まさにそのような「保留」にされていた事件がありました。前任者が大型警備の忙しさを理由に、異動直前まで引き継ぎを放置していたのです。最終的には弁護士からの強いプッシュもあり、私が引き継いで告訴を受理することになりましたが、警察がこれほどまでに慎重(悪く言えば消極的)になるのには、明確な理由があります。

それは、「一見すると詐欺に見えても、刑法上の『詐欺罪』を立証するのは極めて困難である」と最初から分かっているからです。


2. 事件の概要:20年間連れ添ったビジネスパートナーの裏切り

私が担当した事件の当事者は、長年取引のあった以下の二人でした。

  • 被害者: 数字に疎い、入れ歯専門の歯科医師(院長)
  • 加害者: 20年来の旧知の仲である歯科技工士

20年以上前、取引を始める際に「仮入れ歯1個=1万円」と口頭で約束(契約書はなし)。以降、歯科技工士が製作し、毎月請求書を発行して振り込まれるという流れが定着していました。

しかし、数年が経つごとに、歯科技工士は材料費の高騰などを理由に、院長に無断で単価を1万5000円、2万円、2万5000円へと徐々に引き上げて請求するようになったのです。

経理を事務員に任せきりで、請求書に一度も目を通していなかった院長は、税理士からの指摘で初めて「いつの間にか5倍の金額を支払っていたこと」に気づきました。激怒した院長は「裏切られた!詐欺だ!」と警察へ駆け込んだのです。


3. 無断値上げは「詐欺罪」になるのか?立証を阻む2つの壁

結論から言うと、「医師側の了承がない無断値上げ」が刑法上の詐欺罪に該当するかどうかは、非常に微妙なラインです。法律上の「詐欺罪(刑法246条)」が成立するためには、いくつかの厳しいハードル(構成要件)をクリアしなければなりません。

本件において、立証の壁となったのは以下の2点です。

壁①:「欺罔(きもう)行為(騙す行為)」の曖昧さ

詐欺罪が成立するためには、犯人が相手を「騙そう」として嘘をついた(欺罔行為)事実が必要です。 しかし、この歯科技工士は「毎月の請求書に、値上げした正しい単価と金額を明記」していました。金額を隠したり、偽造したりしていたわけではありません。歯科技工士側が「院長も承諾してくれていると思っていた」と弁明した場合、明確に「騙す意図があった」と断定することが難しくなります。

壁②:被害者側の「重大な過失」

もう一つの大きな問題は、被害者である歯科医師側が「20年間、一度も請求書を確認せずに支払い続けていた」という事実です。 ビジネスの取引において、送られてきた請求書を確認するのは最低限の自己防衛であり、義務とも言えます。この確認を怠り続けた被害者側の過失があまりにも大きすぎるため、法的には「騙された」というよりも「確認不足で支払い続けていた」と解釈されやすくなってしまいます。


4. 延べ100時間超の取調べと、待ち受けていた「不起訴」の結末

【警察の実務:告訴を受理した以上の責任】 非常に筋の悪い(立証が難しい)事件ではありましたが、一度告訴状を受理した以上、警察は捜査を尽くし、検察庁に書類を送致(送検)しなければなりません。

基本方針として逮捕はせず、在宅での「任意捜査」として歯科技工士を何度も警察署に呼び出しました。

被疑者(歯科技工士)自身は、「障害を持つ子供がいて生活費が苦しかった」「無断で値上げしたのは間違いない」と認め、一応の反省の態度を示していました。そこからが、地道で膨大な警察捜査の始まりです。

  • 毎週のように被疑者を呼び出し、数年間にわたる大量の請求書と発注書を一枚一枚チェック。
  • 「本来の金額」と「無断で上乗せされた金額」を、被疑者本人の手書きで全て書類に書き込ませる作業を敢行。
  • 取調べの延べ時間は100時間を超過、水増しされた総額は1000万円を超えた。

最終的に、事件内容を概ね認める被疑者供述調書を作成し、検察庁に書類送致(送検)を行いました。

捜査の結末

その後、私は警察本部へ異動となりましたが、数年後にこの事件の顛末を調べたところ、予想通り「不起訴処分」となっていました。

感情的には「詐欺」と言いたくなる事件ですが、やはり「請求書に正しい金額が書かれていたこと」「歯科医師側の過失が大きすぎること」から、検察官も刑事罰を科すほどの「欺罔行為」とは認められない(嫌疑不十分、または起訴猶予)と判断したのだと考えられます。


5. まとめ:ビジネス法務における最大の教訓

この事件から学べる教訓は、「どれほど親しい間柄であっても、契約内容と請求書は必ず自分の目で確認する」という鉄則に尽きます。

「信頼しているから」と相手に丸投げしていると、万が一裏切られたときに、法律(警察や裁判所)すらあなたを救えなくなる可能性があるのです。

もし現在、取引先との間で「騙されたかもしれない」というトラブルを抱えている場合は、闇雲に警察へ駆け込む前に、まずは契約書や請求書の客観的なチェックを行い、法的に「詐欺」として構成できるか、あるいは「民事上の損害賠償請求」に切り替えるべきかを、法律の専門家に相談することをお勧めします。

○警察への告訴状・告発状の作成は元警視庁刑事の行政書士にお任せください。こちら


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、2024年6月までの32年間、警視庁警察官として勤務し、そのうち25年間を刑事として告訴・告発事件の捜査に携わってきました
中でも、告訴・告発を中心に扱う知能犯捜査の経験が最も長く、数多くの事件で、実際に告訴状・告発状を受理し、捜査を進めてきました。
刑事部捜査第二課在籍時には、警視庁本庁舎(霞が関)の聴訴室において、告訴状を持参される弁護士の先生方と日々向き合い、
「事件として受理すべきか」「問題点は何か」
その現場の判断基準を、実務の中で徹底的に学び、鍛えられてきました。
だからこそ私は、警察が何を重視し、どこを見て告訴状を判断するのかを、初期段階から具体的に想定しながら作成することができます。
告訴・告発事件については、刑事の中でも専門性を持って取り組んできた分野であり、強い自負があります。
現在は、千葉県犯罪被害者支援センター会員として、
「費用面で弁護士への依頼をためらっている方」
「警察に何度も相談したが、前に進めずにいる方」
そうした犯罪被害者の力になりたいとの思いから、行政書士として告訴状・告発状の作成支援を行っています。
実際に、
「告訴、受理されました。淺利さんにお願いして本当に良かったです」
というご連絡をいただく瞬間が、何よりの喜びであり、この仕事を選んで良かったと心から思う瞬間です。
警察の内側を知る行政書士として、
“受理される可能性を高める告訴状・告発状”を、本気でサポートします。

Profile Picture