刑事の道を選んだ理由
私が警視庁に入庁した1992年は、採用された警察官に対する教養・訓練制度が大きく改変された年でした。その年の10月に警察学校を卒業し、約1か月交番で勤務した後、内勤実習となりました。内勤実習とは、警察署の刑事課、生活安全課、交通課で見習いとして勤務を経験するという教養です。この年に大きく変わったのが、それまでは刑事課の内勤実習が2週間程度であったのに、この年からいきなり約2か月と、大幅に延長されたのです。当時の私は公安部が志望だったので、これらの内勤実習にはあまり関心がありませんでした。
刑事課の実習中、常習の万引き犯人が逮捕状で通常逮捕されて連行されてきました。管内のディスカウントショップでゲーム機を万引きし、近くのコンビニから宅配便で自宅に送り届け、自宅近くのディスカウントショップで換金するという手口でした。連行されてきた犯人は、取調室に入れられると、一貫して犯行を否認しました。宅配便の送り状などの証拠が揃っているにもかかわらず、犯人の態度は極めて反抗的で、表情はふてくされて不満たらたらといった感じでした。
その日から、連日この犯人の取調べが始まりました。留置場から出してくる度に憎らしいしかめっ面をして出てきて、戻るときも同じ表情でした。取調べ担当の刑事さんは、犯人のそんな態度にも関わらず、淡々と取調べを行っていました。
逮捕から1週間くらい経った日でした。その犯人が取調べを受けている取調室の前を通りかかったところ、中にいる犯人の顔が全くの別人になっていました。にこやかな顔で刑事さんと談笑していました。いわゆる「完落ち」した瞬間でした。私はこれを見て、完全否認で鬼のような形相をした犯人を、数日で改心させて柔らかな表情にしてしまう刑事さんの能力に驚愕しました。「そうだ、おれも刑事になろう」と思い、その約5年後に刑事になりました。このときの万引き犯人がいなかったら、私は刑事になっていなかったかもしれません。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
