初めてのパトロール【元刑事コラム】
1992年、私は、警察学校を卒業し、警視庁赤坂警察署赤坂二丁目交番に配置されました。赤坂の繁華街の外れにあり、管内には雑居ビルや料亭などが建ち並ぶ都会の一角です。午後4時頃交番に到着し、駐車違反などの取締りをした後、午後6時頃に担当の主任(巡査部長)に連れられて白チャリでパトロールに出発しました。交番を出て10メートルと進まないところで、雑居ビルの一角で高齢女性がシャッターに腕を挟まれて「ウンウン」とうなっているところに出くわしました。びっくりして自転車を降りて駆け寄り「大丈夫ですか?何があったんですか?」と声をかけると、女性は「掃除が終わってゴミ置き場のシャッター締めたら腕を挟まれて抜けなくなりました」と話しました。女性はビルの清掃員で、仕事が終わってゴミ置き場のシャッターを締めて帰ろうとしたところ、ゴミ置き場内の電気を消し忘れたことに気付き、シャッターを一度止めれば良かったものを、そのまま壁のスイッチに手を伸ばしたために、シャッターと棚の間に手を挟まれ抜けなくなっていたのでした。私と主任で協力してシャッターを引き上げたところ、幸いすぐに手は抜けました。さぞかし、喜んでもらえると思ったのですが、なぜか女性は礼らしい礼も言わず、そそくさと歩き去ってしまいました。
再び自転車に乗り、パトロールに戻りました。主任は料亭街のほうに向かい、料亭が建ち並ぶ狭い道を走っていくのでこれについていきました。すると、ある料亭の裏口で板前の男性が二人立っており、年配のほうの板前が若いほうの板前をいきなり一発げんこつでガツンと殴りました。主任は近づいて「まあまあまあ」と言って殴ったほうの板前に近づき、「板さん、シゴキはわかるけど殴るのは止めてくださいね」みたいなことを言うとそのまま自転車で走り出しました。無罪放免です。現在であれば、二人を引き離し、殴られたほうに「大丈夫ですか。救急車呼びますか。被害届出しますか」などと質問すると思いますが、この当時はまだ板前や職人が若い弟子を鉄拳制裁で教育する昭和文化が残っていたのです。実際、その2年半後、私は機動隊に異動となるのですが、そこで同期生の一人が先輩に殴られてアゴの骨を折って固形物が食べられなくなり、警察病院に入院することになります。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
