警察捜査の今昔:90年代と現代の違い【元刑事が解説】
現代は、街中に防犯カメラがあふれ、重大事件が発生すると、この防犯カメラをたどって(リレー方式)、短期間で犯人の特定・逮捕につながっています。今後防犯カメラは益々増えていくでしょうから、街頭犯罪の検挙率はもっと上がると思われます。反面、ネットを使用した犯罪は増加の一途であり、法改正や捜査手法の開発は全く追いついていない感があります。特殊詐欺のかけ子は、拠点を国内から東南アジアなどの国外に移しており、日本警察だけではどうしようもない状況も出てきています。
私が刑事になった90年代の警察捜査の状況を記載します。当時、防犯カメラがあるのは、銀行などの金融機関くらいでした。しかも今のようにATMごとにカメラが設置され、犯人の鮮明な顔画像が簡単に得られるのと違い、銀行店内の天井に2~3台設置されたカメラの広角撮影画像しかありませんでした。しかも記録方式はVHSテープであり、10日~2週間程度で上書きされてしまうため、犯行から1か月くらい経ってから被害届を出されると、もう調べようがない状況でした。おまけに画像は解像度が非常に低く、どんなに拡大して印刷したところで、画像はカクカクで、犯人がメガネをかけているのかかけていないのかすらわからない程度でした。
それでもまだ、金融機関には防犯カメラがあるだけマシで、今ではカメラ設置が常識である、駅、コンビニ、スーパー、主要交差点、有名繁華街などには一切無い状況でした。ですので、犯罪が発生すると、目撃者の確保が重要で、犯人の顔をはっきり見ている場合は、似顔絵の訓練を受けた刑事が、取調室で目撃者から話を聞きながら色鉛筆で犯人の似顔絵を描くということがよくありました(現在でも行われています)。また、地取(ぢどり)捜査といって、犯行場所付近の住宅を刑事が一軒ずつ訪ねて聞いて回るという地味な捜査も行われました。
調書などの書類作成は、現在では警察のパソコンを使って作成することがほとんどで、手書きで作成する捜査書類はほぼ無くなっていますが、当時は全部手書きでした。なので、1枚の紙にボールペンで記載していき、もうすぐ次のページというところで大きな間違いに気付いて破って捨ててもう一度始めから書き直しなんてことがよくありました。私が刑事になって少し経って、刑事の間でワープロ(パソコンではありません。ノートパソコンとプリンターが一体化したような機械で、文章を入力して印刷する以外のことはできません)が流行りだし、皆購入して使うようになりましたが、全て自費でした。警視庁の刑事の間で人気があった機種は、NECの文豪ミニでした。東芝やカシオの機種を使う人もいましたが、メーカーが違うと互換性がないため、フロッピーで書式のやり取りをする点からも、利用者の多い文豪派が有利でした。印刷はカセットテープのような形状をしたインクリボンを使うのですが、結構すぐに無くなってしまうので、ケチな刑事は裏返して再利用していました。しかし、印刷に使われた部分のインクは無くなっているので、その部分が重なると文字が切れてしまい、とても見栄えが悪くなりました。
ワープロ時代の終焉は早く、2000年代に入ると若い刑事からノートパソコンを購入する人が増えていきました。これも全て自費でした。当時インターネットは電話回線の時代だったので、署内の電話の電話線を引っこ抜いてパソコンに差してネット接続するので、他からその電話番号にかけてもずっと話し中になり、苦情が来ることもありました。当時ウィンドウズは、いきなり電源断になるなど、悪評極めて高いMeで、うっかりデータ保存を忘れると、3時間かかって入力したエクセルデータがパーになるなんてこともありました。
この時期、警視庁の某所属でパソコンによる重大事故が発生しました。ある捜査員が私物の外付けハードディスクに捜査情報を保存し、これを自宅に持ち帰って自宅の私物パソコンに接続して仕事をしていたところ、このパソコンにファイル共有ソフトを入れていた関係で、このHD内の情報が流出し、大量の個人情報がネット上に拡散してしまったのです。これを機に、私物パソコンの使用が制限され、捜査員への公用ノートパソコン導入が進みました。
犯行現場を撮影するカメラも大きく進化しました。私が刑事になった頃は、まだデジタルカメラは実用化されておらず、フィルムカメラでしかも白黒でした。現像は秘密保全の関係もあって、署内の暗室で鑑識課員が手作業て行うというものでした。途中からカラーフィルムに変わりましたが、署で印刷ができないので、本部の鑑識課に送って現像してもらっていました。デジタルカメラが支給されてからは、フィルムカメラは徐々に使われなくなっていきましたが、初期のデジタルカメラは性能が悪かったので、鑑識課員の中にはあえてフィルムカメラを使い続ける人もいました。
2000年代後半くらいまで、警察車両にはカーナビがありませんでした。近場ならいいのですが、他県に出張に行くときは大変でした。事前に地図を見て「国道○号線→○○交差点右折→○○IC→○○出口→○○交差点左折・・・・・」などのように紙に記載し、これをハンドルの近くにテープで貼り付けて出かけたものです。
現代ではSNSの台頭で、犯人の名前がわかればそれで検索すると鮮明な顔写真が手に入る他、普段出入りする場所や店、趣味、載ってる車の車種などまでが一瞬でわかることがあります。しかし、昔は、ネットで個人名を検索してもよほどの有名人でもない限り何もヒットせず。情報を得ることはできませんでした。またGoogleマップのおかげで現地に行かなくても状況がわかります。便利な世の中になったものです。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
