オウム真理教事件の想い出【元警視庁刑事のコラム】
地下鉄サリン事件とは?警察官が語る事件当日のリアルな記録
地下鉄サリン事件の概要と発生当日の状況
1995年3月20日、日本の治安史上最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件が発生しました。当時、私は**赤坂警察署のパトカー「赤坂3号」**の乗務員として勤務しており、その日(夜勤明け)は非番でした。
午前8時頃、緊迫した無線が突然流れました。
「地下鉄○○線電車内で爆発物が爆発した模様、関係各局は以後の無線に十分留意せよ」
「爆発」と聞いた瞬間、極左集団による爆弾テロではないかと考えました。当時はまだ中核派などの過激派組織が爆発物を使ったテロを行っていた時代だったからです。しかし、実際にはオウム真理教による無差別サリンテロであるとは夢にも思いませんでした。
無線からは続々と緊急情報が入ってきます。
「地下鉄○○線電車内でも煙が出て、複数の乗客が倒れている模様」
この瞬間、「これはただ事ではない」と強く感じました。しかし、何が起きているのか、詳細は全く分かりませんでした。
サリン中毒患者が運ばれた病院の惨状
しばらくすると、地下鉄の出口からサラリーマンたちが次々と出てきて、列を作って一方向へ歩き始めました。まるで隊列を組むように冷静に行動する日本人の姿に、感心したことを覚えています。
その後、赤坂署の指示で管内の○○病院へ搬送された負傷者の状況を報告するため、病院へ向かいました。
病院の中は、まるで野戦病院のような混乱状態でした。医師や看護師がバタバタと駆け回る中、患者たちは苦しそうに横たわっていました。
「爆弾による負傷ではないが、症状の原因が分からない」
病院関係者も手探りの状態でした。これは後にサリン中毒によるものと判明します。
病院から出ると、10人以上のマスコミ関係者が待ち構え、警察官を囲んで質問攻めにしていました。
通常、制服警察官は記者の質問に答えることはありません。しかし、この日ばかりは事態の緊迫感からか、記者たちも冷静さを失っていたように思えます。
地下鉄サリン事件発生後の警察の対応
事件発生後、警視庁の鑑定によりサリンガスを用いた無差別テロであることが判明。さらに、すぐにオウム真理教が関与していることが明らかになりました。
特に赤坂警察署の管内にはオウム真理教の青山総本部が所在していたため、警察官たちは異例の警戒勤務を強いられることになります。
青山総本部の警戒と変則勤務の過酷さ
赤坂署の警察官たちは変則3部制勤務を続けることになりました。
- 朝8:30~翌日10:00 地域課勤務
- 仮眠を取った後、午後8:00に再出勤
- 翌朝9:00まで青山総本部前で警戒勤務
私はその年の6月に機動隊へ異動しましたが、それまではこの過酷な勤務体制が続きました。20代の私でもきつかったのですが、50代後半の警察官たちの負担は相当なものだったと思います。
オウム真理教の信者たちの逮捕
オウム真理教の信者たちは徹底的に所持品検査を受けました。違法な物を所持していれば即座に逮捕されます。
例えば、ある若い女性信者がカッターナイフを持っていたため、その場で現行犯逮捕されました。一般人であれば問題にならないものでも、オウム信者であるだけで逮捕対象となったのです。
また、信者の車を職務質問した際、車のドアの内張の中に自動小銃の実弾カートリッジが隠されているのを発見。これが大量に流通していたら、当時の警察の装備では全く対抗できなかったでしょう。
「オウム部長」と呼ばれた昇進警察官
事件が進展し、オウム信者の指名手配者が次々と逮捕される中、彼らを逮捕した警察官は**1階級特進(巡査長→巡査部長)の特別措置が取られました。こうした警察官たちは「オウム部長」**と呼ばれていました。
上九一色村本部の警戒と極寒の夜
機動隊へ異動後は、**オウム真理教の総本部があった上九一色村(山梨県)**での警戒任務に就きました。
標高が高く冬の深夜は極寒でした。関東以北の警察官たちは防寒ズボンを支給されていましたが、警視庁の警察官にはありません。同じ勤務をしているのに、装備の違いを痛感しました。
麻原彰晃は本当に目が見えなかったのか?
逮捕された麻原彰晃は「目が見えない」とされていましたが、ある警察官から次のような話を聞きました。
「麻原は留置場から廊下を移動する際、若くて綺麗な女性警察官が前方にいると、わざとそちらに寄って体をくっつけようとしていた」
これを聞いた警察官たちは「こいつ、絶対に目が見えている」と確信したそうです。
まとめ:地下鉄サリン事件とオウム真理教の恐怖
地下鉄サリン事件は、日本の警察史に残る最悪のテロ事件でした。オウム真理教の組織的犯罪は、現場の警察官たちにとっても衝撃的なものでした。
この事件は今も日本の治安対策の教訓として語り継がれています。オウム真理教が行った無差別テロは決して忘れてはならない出来事です。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、2024年6月までの32年間、警視庁警察官として勤務し、そのうち25年間を刑事として告訴・告発事件の捜査に携わってきました。
中でも、告訴・告発を中心に扱う知能犯捜査の経験が最も長く、数多くの事件で、実際に告訴状・告発状を受理し、捜査を進めてきました。
刑事部捜査第二課在籍時には、警視庁本庁舎(霞が関)の聴訴室において、告訴状を持参される弁護士の先生方と日々向き合い、
「事件として受理すべきか」「問題点は何か」
その現場の判断基準を、実務の中で徹底的に学び、鍛えられてきました。
だからこそ私は、警察が何を重視し、どこを見て告訴状を判断するのかを、初期段階から具体的に想定しながら作成することができます。
告訴・告発事件については、刑事の中でも専門性を持って取り組んできた分野であり、強い自負があります。
現在は、千葉県犯罪被害者支援センター会員として、
「費用面で弁護士への依頼をためらっている方」
「警察に何度も相談したが、前に進めずにいる方」
そうした犯罪被害者の力になりたいとの思いから、行政書士として告訴状・告発状の作成支援を行っています。
実際に、
「告訴、受理されました。淺利さんにお願いして本当に良かったです」
というご連絡をいただく瞬間が、何よりの喜びであり、この仕事を選んで良かったと心から思う瞬間です。
警察の内側を知る行政書士として、
“受理される可能性を高める告訴状・告発状”を、本気でサポートします。


