警視庁赤坂警察署汚職事件【元警視庁刑事のコラム】
私は、1992年に警視庁警察学校を卒業し、赤坂警察署に卒業配置となりました。現在は警備派出所となっている赤坂二丁目交番に配置され、日夜交通取締や職務質問などに励んでおりました。それから2年くらい経ったある当番勤務の夜、「これから本部保安課の大規模なガサがあるから現場に行って支援するように」との連絡がありました。赤坂の繁華街の中にあるビルで違法賭博が行われており、その取締ということでした。時間になって現場に行くと、保安課の私服員が何十人と来ており、ぞろぞろとビル内に入っていきました。私はビル前の外周を警備していたので中には入れませんでしたが、客と従業員とで40~50人が中にいて、全員警察署に護送するとのことで、警察の大型バスで何度か行ったり来たりして全員を署に連れて行きました。結果として暴力団関係者ら10人くらいが逮捕されましたが、事件はこれだけでは終わりませんでした。実は赤坂警察署の防犯課(現生活安全課)と刑事課に内通者がいて、警察のガサがある場合、暴力団関係者に情報をリークしていたのです。もちろん、その見返りに金品を受け取っていました。ところが、その日のガサは暴力団関係者に情報が行かず、不意打ちを受けた形になりました。怒ったのは逮捕された連中です。これまで少なからぬ金品を渡して情報を得ていたのに、全く情報がもらえず逮捕されたので、それまでのことを全部話したのです。実は、このとき、保安課内で「最近赤坂近辺でガサに入ると空振りになることが多い。署内に内通者がいるのではないか」と噂になっており、この日のガサはギリギリまで赤坂署には知らされていなかったのです。
結果として防犯課員2名、刑事課員1名の3人が収賄罪で逮捕されました。責任を取って当時の署長は辞職しました。私の結婚式に出席してくれた署長で温厚でとてもいい方だったので、とても悲しかった記憶があります。
AI版(内容は同じです)
警視庁赤坂警察署汚職事件|警察内部の不正と暴力団の関係
警察官としてのキャリアの始まり
私は1992年に警視庁警察学校を卒業し、赤坂警察署に配属されました。現在の警備派出所である赤坂二丁目交番で勤務し、交通取締や職務質問に励んでいました。
違法賭博の摘発作戦と大規模ガサ
勤務から約2年後のある夜、「警視庁本部保安課による大規模な摘発(ガサ)がある」との連絡を受けました。現場は赤坂の繁華街にあるビルで行われていた違法賭博の取締りでした。
現場には保安課の私服警官が多数出動し、私はビルの外で警備を担当。中には40~50人の関係者がいましたが、全員を警察署へ護送。その結果、暴力団関係者10人が逮捕されました。
暴力団との癒着|赤坂警察署内部の不正発覚
しかし、この事件は単なる違法賭博摘発では終わりませんでした。赤坂警察署の防犯課(現・生活安全課)と刑事課に内通者が存在し、警察の摘発情報を暴力団にリークしていたのです。その見返りに、金品を受け取っていました。
この日、摘発情報が事前に暴力団側に漏れなかったため、逮捕された組織のメンバーが**「これまでの情報提供と賄賂の実態」を供述**し、不正が明るみに出ました。
赤坂警察署汚職事件の結末
この告発により、防犯課の2名、刑事課の1名が収賄罪で逮捕されました。また、事件の責任を取り、当時の署長が辞職。私の結婚式にも出席してくれた温厚な方だったため、非常に残念な出来事でした。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
