ホームレスができるまでのリアルな体験談|元警察官が見た現実
1992年、警察学校を卒業した私は、バブル経済崩壊直後の日本社会に飛び込みました。初任地は赤坂警察署。当時の赤坂は、高級料亭が立ち並ぶ大人の繁華街で、政治家やヤクザなど様々な人々が集まる街でした。
赤坂二丁目交番での勤務開始
私は赤坂二丁目交番に配属されました。ここは赤坂繁華街の南端にあり、近くには「料理の鉄人」にも登場した周富徳氏の赤坂離宮という高級中華料理店がありました。
ホームレスになるまでを目の当たりに
警察官として働き始めて約1年が経った頃、ホームレスになる瞬間を目撃するという、衝撃的な体験をしました。
「今日からホームレスになります」
ある夕方、60代くらいの茶色の背広を着た男性が交番に現れました。黒縁の丸いメガネをかけ、どこにでもいる事務職の会社員ような雰囲気でした。
その男性は頭を下げて、こう言いました。
「今日でアパートを追い出されました。これからこの辺りで暮らさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。」
私は驚きました。「これからホームレスになる」という挨拶を受けたのは、この時が最初で最後です。どう返事をしていいか分からず、ただ「はあ」と答えることしかできませんでした。
日々進行するホームレス化
それからというもの、勤務のたびにその男性を見かけるようになりました。最初はきちんとしていた茶色の背広は、日に日に黒ずみ、短かった髪やヒゲは伸びてボサボサになっていきました。
- 徐々に変わる外見:最初は普通だった歩き方も、ゆっくりになり、足を引きずるように。
- 持ち物の変化:当初持っていたカバンは、いつの間にか無くなっていました。
本物のホームレスへ
数ヶ月が経った頃、誰が見ても立派なホームレスになっていました。顔面は真っ黒く、表情はうつろになり、生気を感じられませんでした。
ある日、その男性の黒縁の丸いメガネは片方のレンズが無くなり、もう片方も大きくひび割れていました。酔っ払いに殴られたのかもしれません。
私は不憫に思いながらも、ただ見つめることしかできませんでした。しかし、男性は私の視線を一切気にせず、ゆっくりとどこかへ歩いて行きました。
最後に見た姿
その後、私は**パトカー「赤坂3号」**の乗務員になり、二丁目交番に戻ることはありませんでした。あの男性とはそれっきりです。
今でも忘れられない記憶
「ホームレスになる瞬間」を目撃したのは、あの時だけです。おそらく、年齢的にもう亡くなっていると思いますが、私に丁寧に挨拶してくれたあの男性のことを、今でも忘れることができません。
旧記事
警察学校を卒業したのは1992年、バブル経済が崩壊した直後でした。卒業配置となったのは、都心の赤坂警察署。当時の赤坂はまだ料亭が建ち並び、大人の繁華街という雰囲気で、政治家からヤクザまでのあらゆる金持ちが飲みに来る街でした。私が就いたのは赤坂二丁目交番という、繁華街からは若干外れた場所にある古くて小さい交番でした。近くには料理の鉄人に出ていた周富徳で有名な「赤坂離宮」という高級中華料理店がありました。ここで10歳くらい年上の大班長に毎日しごかれ、それは悔しい思いをしたのですが、その話しはまたの機会にして、今回はホームレスができるまでを実況で見るというなかなか珍しい体験をしたのでそのときの話しをします。
私が二丁目交番に就いて1年経ったか経たない頃でした、夕方薄暗くなり始めた時刻に、年齢60歳代、茶色の背広上下にカバン一つを持ったおじさんが交番にやってきました。定年後に嘱託で働いてるどこにでもいる事務職のおじさんという感じです。黒縁の丸いメガネをかけていました。おじさんはちょこんと頭を下げると「わたし、今日でアパートを追い出されまして、行くとこがないのでこれからこの辺で暮らさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。」と挨拶をされました。「これからホームレスになるのでどうそよろしく」という意味の挨拶をされたのは後にも先にもこのときが最初です。私はどう返していいかわからず「はあ」とだけ答えた記憶があります。
それ以後、勤務に就く度に、このおじさんを見かけるようになりました。1日1日と日が経つにしたがって、きちんとしていたおじさんの茶色の背広はみるみる黒っぽくなり、短かった髪も伸びてボサボサになり、少しずつ、しかし確実にホームレス化が進行していきました。またそれに連れて、普通だった歩き方も、徐々にゆっくりになり、少し足を引きずるようにも見えました。持っていたカバンはいつの間にか無くなっていました。どこで食事をしていたのか知りませんが、飲食店はそこら中にありましたから、出されたゴミを漁っていたと思われます。
数か月経った頃には、誰が見ても立派なホームレスになっていました。普通だったおじさんの表情は、黒くなってうつろになり、生気が感じられなくなっていました。そして、ある日、おじさんのかけている黒縁の丸いメガネは、片方のレンズが無くなり、残った片方も大きくひび割れていました。かわいそうに、酔っ払いにでも殴られたのでしょう。私が不憫でじっと見ていても、おじさんはそんな視線を一切気にせず、ゆっくりゆっくり歩いて行きました。
その後、私はパトカー「赤坂3号」の乗務員になったので、二丁目交番に再び就くことはありませんでした。おじさんとはそれっきりです。気のよさそうな普通のおじさんがボロボロのホームレスになるまでを毎日観察したのはこのときしかありません。年齢的にもう亡くなっていると思いますが、私にきちんと挨拶してくれたあのおじさんのことを今でも忘れることができません。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、2024年6月までの32年間、警視庁警察官として勤務し、そのうち25年間を刑事として告訴・告発事件の捜査に携わってきました。
中でも、告訴・告発を中心に扱う知能犯捜査の経験が最も長く、数多くの事件で、実際に告訴状・告発状を受理し、捜査を進めてきました。
刑事部捜査第二課在籍時には、警視庁本庁舎(霞が関)の聴訴室において、告訴状を持参される弁護士の先生方と日々向き合い、
「事件として受理すべきか」「問題点は何か」
その現場の判断基準を、実務の中で徹底的に学び、鍛えられてきました。
だからこそ私は、警察が何を重視し、どこを見て告訴状を判断するのかを、初期段階から具体的に想定しながら作成することができます。
告訴・告発事件については、刑事の中でも専門性を持って取り組んできた分野であり、強い自負があります。
現在は、千葉県犯罪被害者支援センター会員として、
「費用面で弁護士への依頼をためらっている方」
「警察に何度も相談したが、前に進めずにいる方」
そうした犯罪被害者の力になりたいとの思いから、行政書士として告訴状・告発状の作成支援を行っています。
実際に、
「告訴、受理されました。淺利さんにお願いして本当に良かったです」
というご連絡をいただく瞬間が、何よりの喜びであり、この仕事を選んで良かったと心から思う瞬間です。
警察の内側を知る行政書士として、
“受理される可能性を高める告訴状・告発状”を、本気でサポートします。


