警視庁捜査二課の黒歴史

 警視庁捜査二課長は、警察庁採用キャリア組のポストと決まっています。東大や京大を卒業したエリートの方々です。その後は警察庁長官など偉くなる人が多く、エリート中のエリートが行くポストとも言われます。私が捜査二課在籍中にある方が捜査二課長として赴任されました。この課長は、「捜査二課は汚職(贈収賄)事件を検挙するのが仕事」が口癖で、赴任早々捜査二課内から人集めをして、第6知能犯係、通称6知という汚職捜査専門部署を新たに作ってしまいました。汚職捜査部署は既に4知と5知があったので人員的には150%に増加させた計算になります。発足時には私もその一員でした。
 作ったはいいものの、汚職事件なんてそうそう簡単に検挙できるものではありません。犯行は密室で当事者間のみで行われることがほとんどで、目撃者もいません。警視庁全体で、年間の検挙数は1、2件で、全く無い年もあります。さらに、警察官がゼロから事件を掘り起こして検挙することは希で、関係者からの内部通報(たれ込み)で検挙に至ることがほとんどでした。つまり、人を増やせば検挙数が上がるという話しではないのです。
 さて、この6知ですが、発足して1年経たない頃に某捜査員が不正を働き、同じ警視庁警察官に逮捕され、懲戒免職になりました。被疑者は当時私と同じ階級の者でしたが、朝出勤したときに「おはようございます」と挨拶しても無視するような変人だったので、逮捕されて驚きはしましたが、「ざまあみろ」という気持ちのほうが大きかったです。
 その後私は二課内の聴訴室に異動してこの6知を出たのですが、今度は某捜査員が、上司のパワハラが原因で自殺してしまいました。私とは違う係だったので、詳細は知らないのですが、汚職事件の情報が全然入手できないため、係長(警部)が係員に対してかなり厳しい指導を行っていたようでした。
 結果として、6知は一人の逮捕者と一人の自殺者を出しただけで、汚職事件は1件も検挙できず、この二課長が転出して警察庁に戻った直後解体されて消滅しました。


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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