警察官は結婚が許可制?!

 私は、警察官になる前に4年間自動車会社で働いていました。そして、その職場内で一緒だった女性と交際を始め、結婚を決めました。しかし、それと平行して、私の警視庁への転職が決まっており、警察学校は全寮制であるため、彼女には警察学校を卒業したらすぐに結婚する約束をして婚約しました。
 そして、自動車会社を退職し、当時中野にあった警視庁警察学校に入校しました。一緒に入校した同期生の一人は、警察学校入校中に結婚しました。私はとてもうらやましく思いましたが、自分ももうすぐ結婚できると思い、訓練に励みました。6か月間の警察学校での訓練を終え、都心の赤坂警察署に卒業配置となりました。最初の約2か月間は見習い期間であり、私の担当上司は地域課ではなく、警務課の係長でした。配置後、少し落ち着いた頃に、私はこの係長にすぐに結婚したいことを話しました。係長は、「わかった。上に話しをしておく。」と言ってくれましたが、その後、数日待っても何も返答がありません。そこで、係長に「あの、結婚の話しはいかがでしょうか?」とおそるおそる尋ねてみると、係長は何か申し訳なさそうな顔をして「うーん、実は副署長がちょっと、あの、『まだ早い』と言って反対してるんだよ。」と言われました。私は後頭部を殴られたような衝撃を受けました。このとき私は27歳、2つ上の彼女は29歳でした。「まだ早い」と言われる年齢ではありません。そこで、私は、1年以上前に結婚は決まっていたが警視庁への転職で伸びていること、彼女は20歳代のうちに結婚したがっていること、警察学校の入校中に結婚した同期生がいたことなどを話しました。係長は困った顔で聞きながら「じゃあもう一度話してみるよ」と言ってくれました。それから数日後、係長から「副署長が呼んでいる。直接話しがしたいそうだ。」と言われました。私は期待を持って副署長席に行きました。副署長はなぜか自分の苦労話から始めました。いかに警察の仕事が大変か、そのための気構えの重要性など、そのときの私にとってはどうでもいい話しを延々されました。そして、「学校出てきたばっかりの見習い期間中に結婚なんて早すぎる。せめて現任補修科が終わってからにしろ。」とぴしゃりと言われました。現任補修科とは、警察学校を卒業後、警察署で半年から1年勤務した後、再び警察学校に再入校して約2か月間再教育を受ける制度でした。彼女には1年以上待ってもらって、「もうすぐ結婚できる」と話していたのに、ここから最悪また1年延ばされることになります。私はその場で「じゃあ辞めます」と言いそうになったのをぐっとこらえ、副署長席を離れました。
 電話で彼女に事情を話すと、予想していたように泣かれてしまいました。私自身も泣きたい気持ちでした。なぜ、同期生が警察学校在学中に結婚できて、卒業後の自分ができないのか。まさか、警察組織内において、結婚が事実上の許可制であることなんか全く予測もしていませんでした。結局、それから8か月後にようやく私たちは結婚することができました。そして、警視庁の家族寮に申込み、私は単身者寮からの家族寮に移って妻と新婚生活を始めたのですが、ここでもまた妻に泣かれました。地方から出てきた妻は、東京警視庁の家族寮ということで都会のきれいな社宅を予想していたのですが、抽選で当たった家族寮は建てられたのが昭和20年、築約50年のボロボロの長屋だったのです。古い話で恐縮ですが、アニメ「巨人の星」で主人公が子ども時代に住んでいたのと同じ平屋の長屋です。壁と柱の間に隙間があり、朝日が昇ってくるとそこからオレンジ色の光が入ってくるような家でした。


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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