刑事になって最初の宿直勤務が仮眠なしの連続38時間だった件【元刑事のコラム】

 1997年、警視庁大井警察署の留置係員(看守)だった私は、念願の刑事課に入れてもらい、巡査部長刑事としてのスタートを切りました。このような新入り刑事や転勤してきたばかりの刑事が最初の宿直勤務に就くと、警察隠語で「歓迎」といってとんでもなく忙しい宿直になることが多く、私の場合も例外ではありませんでした。
 まず、刑事の宿直勤務について簡単に説明します。警視庁の警察署では、当時、刑事や生活安全課員などの「内勤」は、6日に1回(現在は8日に1回)、宿直勤務がありました。勤務時間は、午前8:30から翌日の午後5:15まで。ただし、事件扱いがなければ、署長裁量で夜勤明けの日は正午に帰ってもいいという、結構アバウトな制度でした(現在は正式な勤務終了時間は翌朝午前9:30となっています)。
 昼間帯は、空き巣だ万引きだなどと細かい扱いが幾つかあって右も左もわからない新米の私は、先輩の巡査刑事にバカにされながら一つずつ仕事を覚えていきました。辺りが暗くなってきた午後6時頃だったでしょうか、「大井署管内、大井町駅前のキャバレーで男同士複数のケンカ、近い局は現場方向へ」という110番指令が入りました。しばらくして、刑事課にあまり柄の良さそうにない男たち5、6人が連れてこられました。状況はこうでした。男たちは、神奈川県相模原市内にある寿司店の店員と元店員1名でした。元店員は、先月、店の売り上げ金約100万円を盗んで所在不明になっていました。店側はこの店員を捜し回り、行きつけだった大井町駅前のキャバレーに寄ってみたところ、元店員が客として来ていたので、捕まえてボコボコにしたというものでした。事件自体は相模原市内で発生しているので、本来、大井警察署に捜査する義理はないのですが、私人逮捕に近い状況なので、大井警察署で扱うことになりました。ただちに元店員の逮捕状請求手続が開始されました。しかし、ここで大きな問題が発覚しました。「ミタレ」事件だったのです。「ミタレ」とは、警察に対して被害届などが提出されていない、非認知事件ということです。仮に、この元店員が持ち逃げした後に、店側が相模原の警察署に通報して被害届を提出していれば、その警察署で初動捜査をして実況見分調書などの面倒な書類も作成します。大井警察署としては、依頼してそれらの既にできている書類を受領すれば、それをそのまま使って手続を進めればいいことになります。ところが、全くのミタレであったため、被害届作成、被害者供述調書作成、実況見分調書作成、現場写真撮影、現場鑑識活動などの捜査を一からやらないとなりませんでした。さらに、元店員の取調べ、現店員の参考人供述調書作成などもあり、刑事課内は大騒ぎになりました。宿直勤務員だけでは到底無理なので、日勤の盗犯係員を中心に臨時の捜査班が編制され、相模原へ出張していきました。私はといえば、作る書類作る書類にダメ出しされ、むしろいないほうがマシなレベルで、皆の足を引っ張るばかりでした。
 逮捕状が発付されて元店員を逮捕し、送致書類が完成したのは、翌日の午後9時過ぎでした。連続約38時間、文字通り一睡もなしの宿直勤務でした。私はそれまで交番や看守で勤務してきて、連続の勤務時間は夜勤明けの正午頃まで、せいぜい28時間くらいまでが最長でした。それがいきなり10時間ほども延びたことになります。「とんでもない職場を選んでしまった」というのが素直な気持ちでした。そしてこの気持ちは退職まで続くことになります。
 


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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