交番で留守番勤務まで任せられていたキョウちゃんの話【元刑事のコラム】

 1992年6月、警察学校生だった私は、警視庁下谷警察署に実務修習生として派遣となり、三ノ輪交番に配置されました。実務修習とは、警察学校生が第一線の雰囲気を体験するため、1週間ほど警察署で体験勤務をする制度です。三ノ輪交番は、国道4号線(日光街道)の大きな交差点の角に位置し、近くには地下鉄日比谷線の三ノ輪駅があり、警視庁の交番としては平均的な忙しさの交番でした。
 この三ノ輪交番に、午後6時か7時頃になるとほとんど毎日「キョウちゃん」と呼ばれていた、30歳代の男性が訪れていました。キョウちゃんは一見普通に見えますが、軽い知的障害があり、昼間はどこかの作業所のようなところで仕事をしているようでした。いつ頃からキョウちゃんが交番に来るようになったのか定かではありませんが、下谷警察署員なら全員が知っている有名人でした。キョウちゃんは、とにかく警察官が大好きで、毎日交番に来て警察官と話すうちに、交番の仕事内容や、警察の専門用語などにもとても詳しくなり、警察学校生である私なんかよりはよほど警察業務に通じていました。
 交番の近くで交通事故などのちょっとした扱いがあると、「キョウちゃん、事故が入ったからちょっと頼むよ」なんて言って、警察官はキョウちゃんを一人交番に残して現場に行ってしまい、その間、キョウちゃんは交番で留守番をして、道案内などの業務をこなすこともありました。午後8時を過ぎると、キョウちゃんは黙って交番の2階に上がり、休憩室に警察官の仮眠用の布団を二つ並べてキレイに敷いてから家に帰って行きました。
 現代において、一般人にこんなことをやらせたら、地域課長以下の幹部は何らかの処分を受け、その一般人は金輪際出入り禁止となるでしょう。昭和から平成になったばかりの時代は、こんなルーズではありますが、ちょっと平和を感じるような世相であったのです。


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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