警視総監の息子が警視庁を数年で辞めた理由【元刑事のコラム】

 警視庁の場合、警察学校を卒業して警察署に配置されると、妻帯者を除き、全員警察署内またはその近くにある単身寮に強制的に入れられます。私が警察学校を卒業した1992年当時は、2人部屋、3人部屋が当たり前で、一番若い下っ端は自分の布団を敷ける分のスペースしか割り当ててもらえませんでした。寮員の年齢上限は決められておらず、30代半ばの「大班長」もいて、掃除や洗濯、制服のアイロンがけなどを若い警察官に押しつけていました。また、夜となると大抵どこかの部屋で宴会が始まり、下っ端は買い出しや後片付けをやらされました。ひどい先輩になると、紙に「1万円」と書いて「おい、これでビールとつまみ買ってこい」なんていうこともありました。もちろん、その紙では買えませんから、自腹を切ることになります。そうした事情は、こち亀の初期回を読むと結構出てきます。
 そんな当時、私より1、2年先輩だったと思うのですが、警視総監の息子が警視庁の警察署で勤務しており、その署の独身寮に入っていました。「偉い人の息子」ということでターゲットになったのかどうかはわかりませんが、寮でのしごきに耐えきれず、この警察官は勤続2、3年で退職してしまいました。この話を聞いた警視総監は、寮の実態を調べ、「これではいかん」と寮改革を命じました。具体的には、「概ね30歳を超えたら退寮」「一人部屋化の推進」「雑用押しつけの禁止」などです。一人部屋化は、施設の問題もあってすぐには実施できませんでしたが、その他の事項は直ちにお達しが出て、推進されました。一人部屋化も徐々に進み、現在ではほとんどの警察署が一人部屋になっていると思われます。部屋での宴会もすっかり無くなり、警察学校を卒業して1か月ほど経った警察官に「寮では先輩たちと飲んでるか?」と聞くと、キョトンとした顔で「一度も飲んでませんが」という答えが返ってくるようになりました。


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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