山谷地区に潜入して7人逮捕した話【元刑事が解説】
2010年頃、ある大衆週刊誌に「山谷地区の朝市で堂々とたばこが無許可で販売…」という記事が掲載されました。記事には、道路上に広げられたブルーシートや段ボール箱の上に、国産たばこがカートンやばら売りで並べられている写真も載っていました。当時私は、警視庁本部の生活安全部生活経済課経済8係に在籍していました。経済8係は主として特定商取引に関する法律違反、つまり悪徳商法事件を主な任務としており、過去には法の華三法行(足裏診断)という超大型詐欺事件も手がけたことがある伝統ある係です。そんな経済8係の主幹業務には、特商法違反の他に「その他」という項目があり、たまに聞いたこともない法律違反事件の捜査が上から降りてくることがありました。そして、このたばこの無許可販売事件(たばこ事業法違反)の捜査も経済8係に下命されたのでした。たばこ事業法なんてそれまで全く聞いたことがありませんでした。たばこの販売が許可制なのは何となく知っていましたが、知っている知識はその程度でしたから、法律の条文を一から読むことからのスタートでした。
たばこが無許可で売られていたのは、東京都台東区のいわゆる「山谷地区」でした。当時既に「山谷」の地名は存在せず、東京都台東区日本堤という地名に変更されていましたが、当時も今も、この界隈は「山谷」という呼び名で通っています。昔から「西の西成、東の山谷」と言われるとおり、日雇い労働者、ホームレスなどが集まる日本有数のドヤ街です。かつて荒れていた頃の山谷では、巨人が負けたなんて理由で騒乱が起きたことから、機動隊の1個中隊がバスで夜間張り付くなんていう時代もありました。この山谷のドヤ街で、隔日で朝市(通称どろぼう市)が開かれていました。玉姫公園を囲むように道路上にずらーっと数十店がブルーシートなどを広げて、日用品、海賊DVD,医薬品(処方箋がないと購入できないもの)、古着、中古工具などを販売するのです。当然道路不正使用ですが、ある意味無法地帯なので、警察も見て見ぬふりです。記事には、そんな店の中の数店がたばこを無許可で販売していると書いてあり、実査した結果、その事実が確かめられました。
山谷地区を管轄するのは警視庁浅草警察署です。私たち経済8係員はこの浅草警察署に派遣されることになりましたが、拠点は警察署ではなく、山谷地区を管轄する日本堤交番通称マンモス交番内に置かれました。マンモス交番はその名の通り、地上4階建ての巨大交番で、山谷全盛期には交番長として警部が常時配置されていたそうです。山谷地区で秘匿捜査を行うためには、当然スーツなんかではできません。私たちはワークマンに行ってできるだけ安い作業着や帽子を買ってわざと汚し、ヒゲを伸ばし、髪の毛も伸び放題にして、できるだけ山谷になじむような格好で毎日捜査に当たりました。私が警察学校のときに助教(教官の補佐役の巡査部長)から聞いた話ですが、この助教も昔山谷に潜入したことがあり、そのときは、手を見られると警察官だとバレるため、労務者になりきるために両手を土の中に何度も突っ込んで、指紋から爪の間まで土を擦り込んだと聞きました。時代が変わったので、私たちはそこまでやりませんでしたが。
朝市は朝早く、午前5時頃には店が開き始め、午前8時までには全部閉まってしまいます。したがって、私たちも始発電車で出勤し、客のふりをして朝市を回り、たばこを売っている店があれば、金を払って買いました。値段は、正規価格の1割安でした。買ったたばこは証拠品として登録し、日本たばこ産業株式会社(JT)に正規品のたばこであることの鑑定に出しました。1週間ほどで全てJTが製造した正規品のたばこであることがわかり、たばこの無許可販売であることが確認されました。
捜査会議が開かれ、検挙は朝市が開かれている最中に、たばこを販売している全店舗の全員を現行犯逮捕する方針が決定しました。それまでの実査で、たばこを販売している店は3~4店舗あるのがわかっていましたが、検挙日に何店舗で何人が販売に従事しているかは予測できず、ぶっつけ本番で当たることになります。その当時は既に山谷地区も年寄りが多くなり、かつてのように騒乱を起こすことはほとんどなくなっていました。とはいえ、店員も客も、犯罪歴を照会すれば、10件も20件も前科・前歴を持つような連中ばかりです。警察官が検挙に来たことを知って、何人かが抵抗して暴れ出したらどうなるかわかりません。そこで生活安全部の上層部を通して、警視庁警備部に検挙当日の機動隊派遣を要請しました。ところが、警備部の回答は「自分たちだけでやってください」という何ともバカにしたものでした。これが捜査一課や捜査二課であれば、おそらく応じたものと思われ、生活安全部の力のなさにガッカリしました。
さて、自分たちだけ対応しなくてはならないことになり、生活経済課の大半と浅草警察署生活安全課とで総勢約100人の検挙部隊が編成されました。現場に入るのは午前6時前なので出勤していたら間に合いませんから、車10台以上に分散して前夜から近くの駐車場などで待機しました。検挙当日朝、経済8係のメンバーで実査を開始し、たばこを販売している店が5店、店員が7人いることを確認し、秘匿無線機で報告し合いました。朝市には、店員と客を合わせて50人から80人くらいはいたように思います。捜査員を振り分けて配置に付かせた後、一斉に逮捕に踏み切りました。一瞬「警察だ。動くな」という怒声が響きましたが、その後は特に混乱もなく、たばこなどの証拠品を押収するとともに、店員に手錠をかけて車に乗せ、浅草警察署に次々と護送し、逮捕は無事成功しました。
しかし、予想では最大でも3店4人くらいの逮捕を予想していたのが、5店7人と大幅に増えてしまい、新件送致手続き(被疑者らを検察庁に送致する手続き)は多忙を極め、最後の書類が終わったのは翌日の朝方でした。取調べでは、被疑者らは全員無許可販売を認めました。たばこの入手先については、「たまに朝市に売りにくる男から8がけで買って9がけで売ってた」などと供述しました。そこで担当検察官から「○○署で逮捕した仮睡者狙い(電車内や路上で酔って寝込んでいる者から財布などを盗む手口)の男がたばこの卸し役である可能性があるから取り調べてくれ」との下命がありました。この男は、盗んだ財布の中にクレジットカードがあると、コンビニに行ってたばこをカートンで何箱も買い、それを朝市で売っていたらしいとのことでした。
男は既に窃盗罪で起訴され、小菅にある東京拘置所に移送されていましたので、部下の巡査部長と二人でこの男の取調べに向かいました。拘置所の取調室は本来検察官用なので、それはそれは広く、警察署の取調室が中に4つ入るくらいありました。刑務官に連れてこられた男は、いかにも泥棒の常習者という雰囲気で、鋭い目をきょろきょろと動かし、無口で、隙の無い感じの男でした。常習の詐欺師がニコニコして話し出すと止まらないのに対し、泥棒というのは全く正反対の態度を示すのです。予想したとおり、男は朝市でたばこを売ったことは否認しました。それはそうです。今さらそんなことを話してもメリットは何もないからです。ただし、男の態度からは、朝市でたばこを売ったのは間違いないことは手に取るようにわかりました。調書を取ることはできませんでしたが、貴署後検察官に電話してその旨報告すると、「ほらね、やっぱり僕の読みは当たったでしょ」とたいそうご満悦でした。他の検察官と賭けでもしていたかのような喜び方でした。
20日間の勾留満期日、7人全員が上限額の罰金30万円で在略起訴され、即日釈放されて事件は終結しました。それから約10年後、私はこの浅草警察署に異動となりました。玉姫公園前の朝市はかろうじて続いていましたが、店舗数は数十店から2、3店にまで減っていました。現在はおそらく1店も残っていないでしょう。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、2024年6月までの32年間、警視庁警察官として勤務し、そのうち25年間を刑事として告訴・告発事件の捜査に携わってきました。
中でも、告訴・告発を中心に扱う知能犯捜査の経験が最も長く、数多くの事件で、実際に告訴状・告発状を受理し、捜査を進めてきました。
刑事部捜査第二課在籍時には、警視庁本庁舎(霞が関)の聴訴室において、告訴状を持参される弁護士の先生方と日々向き合い、
「事件として受理すべきか」「問題点は何か」
その現場の判断基準を、実務の中で徹底的に学び、鍛えられてきました。
だからこそ私は、警察が何を重視し、どこを見て告訴状を判断するのかを、初期段階から具体的に想定しながら作成することができます。
告訴・告発事件については、刑事の中でも専門性を持って取り組んできた分野であり、強い自負があります。
現在は、千葉県犯罪被害者支援センター会員として、
「費用面で弁護士への依頼をためらっている方」
「警察に何度も相談したが、前に進めずにいる方」
そうした犯罪被害者の力になりたいとの思いから、行政書士として告訴状・告発状の作成支援を行っています。
実際に、
「告訴、受理されました。淺利さんにお願いして本当に良かったです」
というご連絡をいただく瞬間が、何よりの喜びであり、この仕事を選んで良かったと心から思う瞬間です。
警察の内側を知る行政書士として、
“受理される可能性を高める告訴状・告発状”を、本気でサポートします。


