警察官と酒【元刑事が解説】

 私が警察学校を卒業したのは1992年です。警視庁では当時も現在も警察学校を卒業した独身の警察官は、全員警察署の単身者寮に入居することになります。当時の寮は8畳ほどの広さの部屋に3人同居というもので、間仕切りなどは一切なく、プライバシーは皆無でした。一番上の先輩が部屋の半分ほど占有し、二番目の先輩が残りの半分から畳一枚分を引いたほどを占有、残った部分が私のエリアでした。現在はかなり改善されてほとんどの寮が個室になっています。
 寮では週に2、3回飲み会がありました。先輩の部屋に呼ばれ、ビールで始まり、途中から日本酒になることが普通でした。なぜか当時「剣菱」という日本酒が警察官には人気でしたが、なぜこれが人気あるのかわからないひどい味でした。私は卒業したばかりの末席でしたから、酒やつまみを買いに行き、黙って先輩の話を聞き、後片付けするのが役割でした。幸い私はやられたことはないのですが、当時悪い先輩の中には、メモ紙に「1万円」と書いて、「おい、これでビールとつまみ買ってこい!」というのをやる人がいました。あるとき、翌日が朝からの宿直勤務だったため、午後11時過ぎに「明日早いのでもう寝てもいいですか?」とおそるおそる言ってみたところ、先輩から「馬鹿野郎!ここの片付け俺たちにやらせる気か!」と怒鳴られました。
 刑事課に入ったのは1997年頃でしたが、当時の係長(警部補)の机の下には必ずといっていいほどウイスキーや焼酎の瓶が置かれていました。定時である午後5時15分を過ぎると、それまでお茶やコーヒーを飲んでいた湯飲みやマグカップにこの瓶のお酒を入れて飲むのです。また、6日に1回ある宿直勤務の夜中にも飲んでいました。当時は、現在の当番制度とは異なり、宿直勤務は勤務であって勤務でないというよくわからない制度だったため、車を運転することのない係長以上は、深夜帯には平気で酒を飲んでいたのです。
 宿直で変死があると「お清め」といって夜勤明けの日には昼間から会議室などでよく飲みました。変死があるとお清めのために会計課から酒がもらえたのです。酔っ払って大声でバカ笑いしていると、隣の相談室から「今、一般人と事件の相談をしてるので少し静かにしてください」なんて怒られることもありました。
 知能犯係の部屋は、刑事課の大部屋とは別になっていることが多く、勤務終了後には酒好きが集まって宴会となることが度々ありました。当時の警察組織内では、ビール券や一升瓶の酒がある意味「通貨」として流通しており、刑事課の倉庫や冷蔵庫には大量の酒がストックしてあり、署によっては無尽蔵に飲めました(笑 このビール券がどこから来たかは書けません(笑
 署内だけではなく、署のそばの居酒屋などでも飲みました。行く店はだいたい決まっており、店員も警察官だと知っているので、いろいろサービスしてくれたものです。客が警察官なら支払いは確実ですし、チンピラや不良が近づかなくなるなど、それなりにメリットがあったのです。居酒屋の後はカラオケスナックに行くことも多くありました。大体どこの警察署にも、署内に1軒か2軒、警察官や消防官が集まるスナックがあり、幾ら飲んでも3000円ポッキリなんてことが普通でした。中には明け方まで飲んでそのままスナックに泊まり、翌日はそのスナックから出勤するなんていう警察官もいました。
 そんな酒事情でしたが、なぜか2010年台頃から飲まなくなり、お清めはもちろん、それまで必ずやっていた送別会や歓迎会などもやらないことが増えてきました。そこにコロナ禍がとどめを刺した形で、現在の警察組織では署内外ともに「みんなで酒を飲む」という風潮がつっかり無くなってしまいました。


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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