警察で実際にあった話【小ネタ集】
1.警察署で飼っていたネコ
某署で勤務していたとき、署の中庭で小さなかわいいネコが放し飼いにされていました。署員によくなついていました。私が着任したときには既にいて、飼われていた理由は「シャブのガサに行ったときに被疑者の自宅で飼われていたネコで、被疑者は一人暮らしだったのでそのままにすれば餓死必須なので仕方なく連れてきたら居着いた」という噂でした(真実かどうかは知りません)。なお、現在はこのような行為は「利益供与」とされ行われていません。このネコですが、かわいそうなことに捜査員の車にひかれて亡くなってしまいました。
2.リクガメ死亡事故
これも某署で「カメが歩いている」との通報で日本にはいない珍しいカメを保護して警察署に連れてきました。カメに詳しい人がおらず、インターネットもない時代だったので種類や生態を調べようもなく「カメだから水に入れておけばいいだろう」との判断で、水を張った容器に入れておいたところ、溺死してしまったという事故でした。その後、飼い主が現れたため、話を聞いたところ、海外の高価な珍しいリクガメだったそうで、話し合いの結果、署のお金で約10万円で弁済しました。
3.署長の息子が警察採用試験不合格2回
私が警察官採用試験を受験した1990年代ころまでは、警察官採用試験は「警察官の子どもが受ければ合格率ほぼ100%」と言われていました(真実かどうかはわかりませんが「落ちた」という話は当時聞いたことがありませんでした)。2010年代頃からはそのようなことは無くなり、非常に優秀だった某署署長の息子さんが2回連続で警視庁採用試験に落ちました。幸い3回目で合格したそうです。昔なら巡査長の子どもでも受かったのですから、署長の子どもが落とされるんなんて昔では考えられないことです。
4.男性アイドルグループメンバーによる○○○○事件
某署で勤務していたとき、管内の施設でコンサートをしていた男性アイドルグループメンバー6人(最近解散)が刑事課に連れてこられました。コンサート終了後、車で事務所に向かう途中、ファンの女性が乗った車がしつこく追ってきたため、怒ったメンバーの一人が車を降りて相手の○の○○○○を○○たというものでした。ファンの女性に訴え出の意思は無かったのですが、そのまま帰す訳にもいかず、署に連行してきたものでした。メンバーのうち5人はおとなしかったのですが、坊主頭の一人が警察官に対して「おい!早くしろよ!」などと生意気な口をきいて非常に態度が悪かったです。ところが、1時間くらいして社長の娘が来た途端、全員シーンとなり、その女性にしきりに謝っていました。最後に無罪放免となって出ていくとき、メンバーのうちのKだけが、我々に対して「どうもご迷惑をおかけしました。すみませんでした。」と深々と頭を下げました。あ、彼だけはまともなんだなと思った瞬間でした。
5.チャイニーズ・スープ
1998年、大井警察署時代に1ヶ月に3件の殺人事件が発生し、そのうち2件は関連事件で、被害者は中国人の兄弟でした。そこで「スーパーインポーズ法」という人種特定の鑑定をすることになり、この二人の頭部を某大学病院に持ち込んで鑑定を依頼しました。病院の先生は、受け取った二つの頭部をメスなどを使って皮膚や肉片などをはぎ取ると「細かい肉片はこれ以上取れないので、苛性ソーダで煮てくれ」と言いました。我々刑事は中庭に行き、水と苛性ソーダを入れた一斗缶に頭蓋骨を入れ、カセットコンロでぐつぐつ煮ました。煮ると肉片が凝固するので剥ぎ取りやすくなり、ヘラなどを使って削ぎ落としていきました。肉と骨を煮るわけですから、鍋物のような匂いがしました。そんなとき刑事の一人が「これが本当のチャイニーズ・スープだな」とぽつりと言いました。若い人はご存じないかもしれませんが、当時松任谷由実(ユーミン)の曲で「チャイニーズ・スープ」という有名な曲があったのです。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
