警察学校の食事について【元警察官が解説】
私が入校したのは中野にあった時代の警察学校でした。全寮制ですから食事は毎日三食食堂で食べます。メニューなんか選べません。当時はアレルギーなんていう配慮は無かったので、全員に同じ物が出されました。学生は多いときは千人近くいるので、手の込んだ料理なんて期待できません。ご飯と汁物、それに煮物か揚げ物のおかずが付いたものだった記憶があります。学生の間では「深海魚」と言われた食紅で赤く着色された魚もよく出ました。お世辞にも美味いとは言えない代物で、全く人気がありませんでした。道府県警の警察学校では、今でもこうした食事のスタイルが多いかもしれません。
警察学校は、その後2001年に中野から現在の府中に移転しました。移転後に講習でこの新しい警察学校に行ったことがありますが、食堂は大学やサービスエリアの食堂のような注文方式に変わっており、カレーや定食、うどん、そばなど、好きなメニューを自由に選んで食べられるようになっていました。また、横にある売店で菓子パンやサンドウィッチ、カップラーメンなどを買って自室で食べることもできました。強制的に深海魚を食べさせられていた頃とは時代の変化を感じたものです。
余談ですが、中野警察学校の食堂で働いていたおじさん、おばさんたちは、外注企業のパートではなく、東京都採用の職員だったようです。なので、府中に移転する際は、身分をどうするかでもめたようです。都は、希望者には継続して府中での勤務を打診したそうですが、中野と府中はかなり離れており、中野近辺に住んでいる人が通うのは少々無理があります。おそらくほとんどの人が退職することになったのではないでしょうか。
淺利 大輔
あさり だいすけ
行政書士淺利法務事務所 代表
私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。
