警察捜査の考え方

警察政策学会資料 第111号
令和2(2020)年7月
警察捜査の考え方
~司法警察論批判~
警察政策学会
刑事警察研究部会
まえがき
 本資料は、令和2年1月31日、刑事警察研究部会の例会において、警察庁OBで、
現在は公益財団法人日本交通管理技術協会会長の小野正博氏が、「警察捜査の考え方
~司法警察論批判」と題して講演された内容を取りまとめたものである。
 小野氏は、警察庁採用後に警察庁長官官房企画審査官付(当時)、警察庁生活経済
課(当時)理事官、警察庁長官官房審議官(生安/刑事 担当)等を歴任しながら、
長年にわたって警察活動の在り方とその根拠について調査・研究し、令和元年秋、
その成果をまとめた『警察の真髄』(啓正社)と題する著書を上梓された。
 今回の講演では、同著に盛り込まれた記述の一部である「警察捜査の考え方」、特
に刑事訴訟法第189条第1項(一般司法警察職員と捜査)と警察法第1条(警察
の目的)との関わりに重点を置いてお話しいただいたところ、極めて示唆に富んだ
内容であったので、広く会員の皆様の参考に供したい。
(刑事警察研究部会前部会長 伊藤一實)

目 次
1 はじめに………………………………………………………………………………………… 1
2 『警察の真髄」の概要 ………………………………………………………………………… 1
(1)PART1の概要  ……………………………………………………………………… 2
(2)PART2の概要  ……………………………………………………………………… 2
(3)PART3の概要  ……………………………………………………………………… 3
(4)PART4からPART6までの概要  ……………………………………………… 4
(5)PART7からPART12の概要  …………………………………………………… 5
3 日刊警察に書いた『「警察捜査論」の顛末記』について  ……………………………… 6
(1)司法警察論からの出発  ……………………………………………………………… 7
(2)司法警察論では対処できない  ……………………………………………………… 7
(3)司法警察論違法説へ  ………………………………………………………………… 8
(4)行政としての警察捜査  ……………………………………………………………… 9
(5)発表に至るまで  ………………………………………………………………………10
4 レジュメ『警察の真髄』(警察捜査関係部分の概要) ……………………………………11
(1)警察政策の基本  ………………………………………………………………………11
(2)司法警察論批判  ………………………………………………………………………14
(3)警察捜査論(まとめ) …………………………………………………………………20
(4)行政としての警察捜査(=A+Bの警察捜査)の効果  …………………………22
質疑応答 ……………………………………………………………………………………………26
資料編 ………………………………………………………………………………………………38

(司会)  警察政策学会刑事警察研究部会例会を開始いたします。
 本日は講師として警察庁OBの小野正博さんをお招きいたしました。小野さんは昨年、『警察
の真髄』という大変立派な本を上梓されまして、私も一部読ませていただいたのですが、各般に
わたっての問題点を精緻な理論を展開しながら述べておられるので、大変感服したところです。
 本日はこの本を中心に、「警察捜査の考え方」というテーマでお話をいただくと聞いております。
それでは小野さん、よろしくお願いします。
講   演
1 はじめに
 ご紹介をいただきました小野正博でございます。よろしくお願いいたします。
 昨年秋、『警察の真髄』という本を出版しましたところ、伊藤一實先輩にも読んでいただいた
ようで誠にありがとうございます。元、直属の上司でございました伊藤さんからこの本のことを
話せとのご指示をいただきましたので、本日この場に参った次第でございます。
 まず本の概要をざっと10分ぐらいお話して、その後、「司法警察の批判」 というところをお話
しさせていただこうと思います。別に私は司法警察論を好きだ、嫌いだで批判しているわけでは
ありません。現場の警察が、犯人の検挙もさることながら、併せて被害者の確保・救出、被害拡
大の防止、被害の極小化を図ることなどを実際一生懸命やっているわけです。警察が捜査の中で
行っているそうした活動が、これまで理論上はきちんと評価されていない、それは大変おかしい
ことではないか。刑事訴訟法の世界の脇にあるような形で、付け足しのように言われている。そ
こで、私は、これは基本的に間違っているのではないかと思いまして、長いこと色々と、ああだ、
こうだと考えていたという状況にありました。
 そうは言っても、現職時代は仕事も併せてやらなければいけないものですから、なかなか詰め
ていく余裕もなかったのですが、警察庁を退職してから色々細かい文献にも当たりながら、自分
で考えていることは決して間違ってはいないと確信を持つようになり、それを本に入れさせてい
ただきました。
 本の中では色々なことを話しておりますが、今日はその中で司法警察論批判、警察の捜査はど
ういうものかということを中心にして皆さんにもお話し、さらに私が一番言いたいことは、その
ように警察の捜査の考え方を変えていくと、警察のやるべきことも変わってくるということを、
できれば強調したいと思っているところです。
2 『警察の真髄」の概要
 まず、ざっと『警察の真髄』という本の概要を、目次と書いてあるペーパーを基に説明してい
きたいと思います。
 この本は何を書いているかというと、ちょっと偉そうなことを言って恐縮ですが、私としては、
日本警察の考え方、日本警察の思想というものをトータルな形で提示しようと試みたつもりです。
そういう本は今までないものですから、いろいろ苦労したのですが、日本警察は、こういう考え
— 1 —
方に基づいて活動を行っているということを明確にしたいということで書いたものです。
(1)PART1の概要 
PART1は警察の組織論を書いております。組織論というものはこれまでもあるのですが、私
が言いたいことは、「2 神ならぬヒトはかなり誤りやすい」間違いやすい。4に書いていますが、
神ならぬ警察官が誤らないためにはどうしたらいいのか、特に組織の暗黙知と言われるものが警
察の中では伝承されていると私は考えております。そのことを明確にお話ししたいと考えたのが
PART1です。それは簡単に言えば“組織で仕事をする”ということです。なぜそれが誤らない
捜査や他の警察活動などにつながっていくのかということを一生懸命ここでは書いているつもり
です。
あとポイントとしては8です。「アメリカの失敗」ということを書いていますが、アメリカは
検挙一辺倒主義、検挙だけやればいい、検挙以外のことはやるなという命令を受けた警察がアメ
リカの警察です。そこでどのように活動が行われ、それによって失敗を来たし、治安の悪化に行
ってしまったか、それをどうやってアメリカは克服をしたかということを、8とPART2の最初
辺りで書いています。
 それから、警察の仕事が大変難しいことを、その下の「○ 市民から感謝されない」で書いて
います(注;「日刊警察」に載せたもの等を○として記載しています。)。これは意外と一般の方
から、警察の仕事が難しいことがよく分かりましたと言って好評をいただいたものです。
(2)PART2の概要
PART2は政策論、警察政策の基本は何かということを書いており、1は先ほど言いましたア
メリカの失敗、アメリカは検挙一辺倒だったことが失敗の原因である。この検挙一辺倒の方策が
日本警察にも悪影響を与えたと私は考えています。特に刑事警察にその弊害が出てきている。刑
事ご出身の皆さんの前でそういうことを言うのはおこがましいとは思いますが、私としてはその
ように考えております。
「日本警察の基本政策は何か」については後でお話しますので中身は言いませんが、それを2
で書いています。
3 で「犯罪等多発の問題性と対処」ということで、現実に日本においても平成の半ば頃まで起
こったわけですし、アメリカでは20世紀、1990年代までそういう問題が大変深刻だったわけです。
では、どのように対応してきたのか、どのように対処すべきなのかということをここで書いてお
ります。
 特に、アメリカに関しては“特化策”、重要犯罪に特化するという方策を取りまして、そのよ
うに警察も運営されました。結局そのやり方は、日本でいう「身近な犯罪」というものを無視し
た形、身近な犯罪が発生しても、それについては追及捜査をしないという形で無視しましたので、
結果、国民の遵法精神をおろそかにしてしまい、国民が、捕まらないのであれば自分も他人のも
のを取ってやろうと、それが当然の状況になってしまいました。『治安の悪循環』と私は申し上
— 2 —
げていますが、そういう状況を作ってしまいました。
 日本はどうだったかというと、日本は“特化策”をやろうと一時はしたのですが、それは反対
も強く、できなかった。これは大変幸いだったと思います。日本の警察の基本的な考え方がアメ
リカと違うから出来なかったのですが、そういう中で日本はどうしたかというと、一生懸命検挙
しなさいということを指導する、謳うことだけをやっていた。対策をちゃんと講じなかった。そ
の結果どうなったかというと、現場はどんどん事件が増えてきました。昭和後期が平均140万件
位でしたが、平成14、15年は285万件位まで増え、倍増したわけです。
 当然、警察官の捜査能力、処理能力は警察官数で決まる一定のものですから、倍増することに
対応できるはずはない。それでも必要な対策を取らずに、頑張りなさい、対応しなさいというこ
とを言うだけですから、現場は大変負担を感じて、私が言うところの“負のベクトル”、犯罪に
立ち向かう正のベクトルではなく、犯罪からどうやって逃げたらいいか、屁理屈をつけ捜査を回
避しようとする“負のベクトル”が日本においては生じてしまいました。それが警察不祥事とな
って現れた。平成11年、12年ごろの話を中心に書いていますが、そういう状況であったのだろ
うと思っております。そういうことをここに書き、さらにこれらを克服すべく具体的対処方法も
書いております。
(3)PART3の概要
PART3は実は力を入れたところで、警察は何のために存在するのか、どうして国民に信頼さ
れ得るのかということを採り上げました。これは警察が伝統の上に立って、それをしっかり頑張
って守ろうとしていることから国民の支援を戴いていると私は考えております。ですから、歴史
をさかのぼって考えました。日本の警察はヨーロッパのフランスやプロイセン警察を手本に導入
されたと、私共は若いときに教えられていたのですが、実は必ずしもそうではないだろう、基本
的な考え方は、実は江戸時代の武士の職務規範に由来するものだろうということを、ここでは提
示しております。
 その例として「3二宮尊徳と小田原藩重職らの共通規範」は何だったか、それから4の「上杉
鷹山の「伝国の辞」」の中身はどうか、その基本にあるのが5の保科正之という人、家光の腹違
いの弟ですが、家光が早く死んだものですから、その息子が4代将軍になったわけですけれど、
まだ11歳でした。その時に死の床にあった家光が保科正之を呼んで、お前に息子のことを託す
ということを言いました。それ以来、20年にわたって保科正之は所領に帰ることもなく、江戸
城の中で執政として執務に当たったわけです。彼のやったことが大変素晴らしいことであったの
で、それが江戸幕府のみならず各藩に伝播して武士の職務規範がきちんと形成されたと、私は考
えております。
その考え方が7に書いてありますが、日本警察の基本的な考え方につながります。「日本警察
のエトスは万民の望んだ武士の規範の上に創設」されたという部分です。ですから、なぜ日本の
警察は国民に協力してもらえるのか、信頼してもらえるのかというのは、まさに江戸時代の300
年の中で、武士が庶民の信頼、つまり庶民からも委託された責務を果たしていたのですが、警察
— 3 —
がその考え方を引き継いで行っているからこそ、日本の警察は国民に信頼されている、一方で、
それに反する活動をした場合には、日本の警察は大変厳しい批判を国民から受けるということに
もなっている、そういう伝統が実はあるのだということをここで申し上げています。「○皇居の
空を見上げて」と書いてありますが、これは保科正之のことを書いています。意外とこれが好評
を受け反響がありました。
(4)PART4からPART6までの概要
PART4は警察捜査の真髄(理論編)、PART5は警察捜査の真髄(実務編)、PART6が警察捜
査の真髄(作用編)。この三つが捜査論を書いているところです。今日はこのあたりを中心に、
皆さまにお話し申し上げたいと思っております。
 簡単に申しますと、警察の捜査は検察の捜査とは違う。検察の捜査は刑事訴訟法に基づいた捜
査でしかありませんが、私どもの警察捜査を授権しているのは警察法である。警察法の業務を実
践する中で、刑事訴訟法についても果たさなければならない、そういう捜査であると私は思って
おります。それはどこから出てくるかというと、PART4の「6刑事訴訟法第189条第1項の意義」、
ほとんど今まで触れられていないのですが、実はここが一番重要なポイントになるだろうと考え
ております。
 その下に「〇行政としての警察捜査」①、②と書いています。特に②ですが、我々の捜査とい
うのは、公判のための捜査のみならず、警察法の目的に従ってもっと広い活動をするものである。
検察が「公判のための捜査機関」と考えると、警察というのは、それよりさらに広い「国民等の
ための捜査機関」である。つまり、22年警察法の制定により独自の捜査権を授権される中で、
そこで考え方が変わっているのだということを、ここで明確にしたいと思っているところです。
PART5は、特に司法警察論を主張した一番の、張本人というと叱られますが、横井大三氏だ
と私は思っておりまして、その批判を「2 横井大三氏の論への批判」の所でやっています。理
論面ではこれで大体済むのですが、これまでほとんど刑事訴訟法を書いている人たちも横井大三
氏の論に従っていますし、学者の方でも、これに反論している学者の方を私は聞いたことがあり
ません。そこで、理論だけでは足りないのだろうということで、「事例から見る警察捜査」とい
う3のところに例を挙げて、具体的にこういう考え方ではないのか、これをきちんと説明できる
のかということを申し上げているところです。
PART6は、そういう考え方に立った場合に警察捜査はどうあるのか、何をすべきかというこ
とを述べているところです。見出しに書いていますように、「警察の捜査は、捜査の機能、成果
を犯罪等の抑止に生かすべき」で、そこが基本的に違うのだということを申し上げております。
独立捜査権というのは単に独立した捜査権ではないということを1で言っております。2は「行
政としての警察捜査」、警察捜査は行政なのだということを申し上げて、国民等の安全を図り安
心させる捜査でなければならない。3で事件、事故の原因の解明と速やかな公表、公表だけでは
ないですけれど、そういうことをやらなければならない。それは従来から言われている公判の重
視だけではなくて、警察は社会の安全等を図るべく捜査の成果を生かし積極的に社会に働きかけ
— 4 —
なければならないと私は申し上げています。特に今後の問題としては、4 自動運転のときにど
う対応するか、実は深刻な問題があり得るだろうと書いております。
 ○の中では、「行政としての警察捜査⑤」の所、ここに同様の趣旨をまとめて書いておりまして、
皆さまのお手元にこれを配布させていただいております。○の三つ目の「BREXITは何故起き
たのか?」というのも意外と民間の方から好評をいただいております。
(5)PART7からPART12の概要
PART7は 「組織犯罪対策」 について書いており、組織犯罪捜査の考え方の基本を書いており
ます。私は捜査によって得た資料、成果を将来の組織犯罪に対して活用すべきだと考えておりま
す。警察の部内でさえ、捜査において収集した資料を組織犯罪に対して活用するのはおかしいで
はないかという議論すら一時出ていたことがございますが、それはおかしいのだということを、
ここで申し上げております。
 また、ここはある意味で情報収集論となっており、そのことについても書いています。特に学
説の中では 「情報の自己決定権説」 が言われていますが、これを主張する学者は、これは何にで
も適用されるように言っていることに対して、それはあまりにも間違っているのではないかと、
ここで“学説の濫用”という言葉を私は使っておりまして、一部学者の方には大変批判的なこと
を書いております。
PART8は 「地域警察の真髄」 ということを書いています。ここで何を言っているかといいま
すと、個々の地域の安全を図るという地域警察の考え方が、その積み上げ、総和によって、いう
なれば帰納法的な手法によって日本の安全確保をしている。現場に強い日本警察の特性を担って
いるのは、そういう意味では、この地域警察や警察署の活動なのだと。それをどうやって将来に
生かすべきかということを書いています。
「○ 私も納得して取締りをしたい」というのは、実は私の原点でありまして、神田警察署長
時代に当時の若い婦警さんが真剣な顔で私に漏らした言葉です。この言葉を一番の基底に据えて、
私はいろいろ政策を考えてきたところです。
PART9の 「犯罪等予防の真髄(基盤編)」 も力を入れたところです。犯罪等予防・抑止という
ものが、行政法学者等の中でもあまり議論されていない、力を入れて書いた方もあまり見かけな
いという状況下です。法の本質論から見て、犯罪等予防・抑止は大変重要ではないか、と思うの
です。警察について、事後強制、検挙一辺倒を支持する学者も多いのですが、それは間違ってい
るのではないかということを、法の本質論、法哲学の世界から主張しているところです。
「犯罪等予防・抑止の主体」 の問題、これは意外と大事でありまして、主体は国民等自身であ
ろう、警察が国民等の鼻面を引き回すのではなくて、警察ができることは非常に限定されている。
その中で主体である国民等自身がどのように活動なさるか。われわれはそれを促進したり支援し
たりするのが犯罪等予防の本質であろうということを申し上げているところです。
 ですから3に 「警察の犯罪対処能力」 はどの程度あるかというのを計算上出しております。最
も人口密度が高く警察官も最も多く存在している東京の23区の1キロメートル平米に国民等は
— 5 —
1 万5000人おられるのですが、その中で実際に警察がカバーできるのは、常時50人弱程度に過
ぎないということを計算上、出しております。日本の警察は、大した力を持っているわけではな
いのです。
「5 他行政との競合について」は、元最高裁判事であった藤田宙靖・東北大名誉教授の主張さ
れる 「他行政との権限競合」 の際の議論に対する批判を書いているところです。やり過ぎではな
いかと同期生から言われたこともありますが、藤田教授の議論に迎合するようなことばかり言っ
ている後輩も多いものですから、批判すべきものはきちんと批判すべきだろうということで書い
ております。
 PART10 は犯罪等予防の真髄(展開編)、警察の具体的役割を総括したものです。
PART11は犯罪等予防の真髄(協働編)、他の機関との連携をどう図るかということで、企業
と学校を例にして書いております。特に企業論の中で重要な点は、「許されたる危険」 を前提と
する企業、それへの対応をどうすべきかということを、一つのテーマとして書いております。こ
れは原発事故の東京電力などが代表ですし、自動車メーカーもそうです。そういうものに警察は
どう対応すべきかということを書いております。それから、それぞれ企業の“事業領域”という
ものがありますが、それを企業と実質連携しながらクリアチェックするということが最近の警察
の重要な任務となっているということを書いております。
 ○では同期生の故 吉田英法君のことを書いております。私はブログというものを先輩に勧め
られて始めており、小野正博著作で検索すれば、○で表記したものは、出版後に書いたものを含
め、全てそれに載せています。その中で一番検索されることの多いのが、この吉田英法君のこと
を書いた記事です。
 学校との連携では“地域の子”として育てることを、警察と学校がどのように連携して行うべ
きかということを書いております。
 PART12 が最後で、総論です。これが一番難問でした。法と正義ということで、巷には、学者
の方では抵抗権、革命論など色々あるわけですが、私はどのように考えるべきかということを書
いたものが、PART12の「1 人間の為せる業」というところであり、本書全体の核心となります。
苦心したところです。
 それから警察の在り方というものを端的に述べたものが、「○『無用の用』の構造」のところ
です。警察国家ということを左翼の学者の方が言われますが、そうではないだろう、警察という
のは“無用の用の存在”であり、そういう仕事をやるべきだろうと、対抗軸として打ち出してい
るものです。
 以上が、だいたい『警察の真髄』という私が書いた本の概要でございます。
3 日刊警察に書いた『「警察捜査論」の顛末記』について
 本論にはまだ入れないのですが、ざっとどんなことを言っているかをお手元の「『警察捜査論』
顛末記」という日刊警察の記事で見ていただければと思います。私が主張しているのは、A+B
の警察捜査論、簡単に言うとそういうことなのですが、最近それを尋ねられることが増えてきま
— 6 —
したので、その顛末をお伝えしますということで書いてあります。
(1)司法警察論からの出発
 私も若い頃は司法警察論、学者等の著す刑事訴訟法の捜査部分の解説を鵜呑みにしておりまし
た。司法警察職員として刑事訴訟法に基づき捜査するのだな、検事と同じ捜査をするのだな、捜
査というのは公訴の提起、追行のために行うもので、捜査と行政は峻別される、司法警察と行政
警察は根拠法も目的も異なるのだと、従来通説とされている司法警察論を前提に考えておりまし
た。
 入庁3年位経った頃ですか、関根謙一企画審査官(当時)から「警察捜査は警察法第1条の目
的に従って行われるものであり、その範囲は通常捜査目的とされる範囲よりもずっと広い」と、
お教えをいただいております。なるほどとは思うのですが、捜査法の体系の中にどう位置付ける
べきなのか今一つ合点がいかない状態にありました。
(2)司法警察論では対処できない
 実感として、司法警察論では対応できないと思い知らされたのは、悪質商法を担当する生活経
済課(当時)の理事官となった時でした。豊田商事事件は皆さんご存じだと思いますけれど、被
害者3万人、2000億円の被害になるような大事件でした。全国で加害者側も一時1万5000人に
もなったと言われました。その大規模さに捜査側が既に圧倒されている。私が生活経済課の理事
官になったのは62年2月か3月ごろですが、豊田商事は、もう60年の段階で破産宣告をなされ、
散り散りバラバラ、悪いことをやった連中はもう逃げ出して、ほかの悪質商法をやっているとい
う状態でした。警察が、幹部数人の逮捕という強制捜査に入ったのは62年3月で、破産宣告か
ら2年近く経った後、社員はみんな金を持って逃げてほかの悪質商法をやっている状況で、やっ
と全国の捜査二課系統が強制捜査に入れたという状況です。
 内偵密行主義を採り全容の解明に努める通常の“まとめる”捜査では、動きの速い悪質商法に
対し、その実態を解明している間にも被害が拡大してしまい捜査着手は更に出遅れたものとなる
等対抗困難でした。
 これに対し漆間英治保安部長、確か61年の夏に保安部長に着任されていますが、全国の生活
経済警察に対して漆間さんが指示したのは“蹴散らし捜査”という考え方でした。“蹴散らし捜査”
というのは、全容を解明して全体を立件するのは当然ですが、それ以前になるべく早く入口事件
を探す。入口事件も見つからないのだったら、強制捜索差押のガサをやるネタを探せということ
を徹底しました。
 それを見つけた場合には、すぐにそれをもって強制に移る。強制に移って広報する。広報する
ことによって、一方で悪質業者の活動の足を止めて、一方で国民にもこういう悪質商法がいま横
行しているということを広く認識させて、会社がまだ生きているうちに迅速に検挙に着手し全容
を解明して被害金品もなるべく押さえてしまって、あとで被害者対策に活用できるようにしよう、
という考え方の下に捜査指揮をしたのです。この考え方によって、ようやく悪質商法の足を食い
— 7 —
止めることができる形になり、私自身もなるほど、こういう捜査のやり方があるのだと、まさに
目を開かれる思いがしたところです。
 考えてみますと、警察というのは、誘拐事件においても被害者の無事救出を第一義にして捜査
をしているわけですが、被害者の無事救出というのは刑事訴訟法からの要請は全くないわけです。
検察がもし誘拐事件を捜査して被害者が死んだのであれば、併せて殺人事件を立件すればそれで
済む話なのです。つまり誘拐事件として立件し、プラス殺されていれば殺人事件として立件して、
それで十分検察捜査としては、その捜査の定義から見ても足りる話なのです。
 ところが、警察がそんな捜査をして被疑者を捕まえ、被害者を殺していたから殺人事件も併せ
て立件しました、立派でしょうと言っても、誰も褒めてはくれない。警察は何をやっているのだ
と叱られるだけです。叱られることが何だというわけではありませんけれど、被害者の救出を第
一義とするような警察捜査の仕方、考え方については、司法警察論を主張する学者からは、捜査
目的に行政目的が介入しているのではないか、刑事訴訟法に反すると言う論も多かったわけです。
逆に、国民も、マスコミも、無事救出が当然のことと考えておりまして、警察も当然に一生懸命
被害者救出を念頭に捜査をやっているわけです。つまり、検事、学者の言う捜査理論と実際の警
察捜査というものがまったく乖離している、そういう状況ではないかと考えました。
 さらに、桶川ストーカー殺人事件についても、担当刑事達に対する厳しい非難が生じました。
もちろん捜査書類を偽造したということもありましたので、その点については批判されて当然で
はありますけれど、批判の中心は、なぜ被害者が警察署に助けてくれと来ているのに救ってやれ
なかったのか、それで殺されてしまったではないか。こういう批判が中心でした。
 司法警察論からすれば、これもおかしいのでありまして、ちゃんと事件として立件すべきもの
は立件した、殺人として立件したのだから何か問題あるのですかというのが司法警察論の立場で
言えば当然の考えのはずですが、警察はそんなことを許されてはいないのです。なぜ被害者が警
察署に訪ねてきたのに救出できなかった、助けられなかったのかという批判が出ているわけです。
つまり、むしろ「司法警察論」こそが、刑事達が被害者のために行動することを阻んでいる桶川
事件の根本原因ではないかと考えるべきだろうと、私は考えたところです。
(3)司法警察論違法説へ
 司法警察論をどのように考えるのか、というのは大変頭を悩ませたところです。平成の初めご
ろから全国の警察官が現場で行う日々の警察捜査の理論化について、私は模索を続けました。模
索を続けたと言うと格好いいのですけれど、実態を言えば平成10年ぐらいにはテポドンが飛ん
で、私は情報収集衛星のプロジェクト責任者となり、これをずっとやらざるを得ない状況になり
まして、3年半ほとんど夜眠る間もないような状況でしたので、こんなことを考える暇も実はな
かったのですが、そういう中で平成半ばぐらいには資料を十分に詰めたわけではございませんが、
従来の「司法警察論」は刑事訴訟法第189条第1項の本来の解釈を枉げた横井大三氏の主張であ
って、その主張は、刑事訴訟法上、検察官や特別司法警察職員等の捜査主体の中で、一番重要な
捜査主体であるべき警察官についてのみ同法上の権限を行使できる管轄区域、職務範囲を法定し
— 8 —
ない“法の欠缺”をもたらす違法解釈ではないのか?彼の解釈は、その結果をごまかした辻褄の
合わない解釈ではないのか?実定法の解釈論としては採り得ないのではないか?ということが明
確に書いておりますが、これほどはっきりではないのですけれど、このように考えるべきではな
いのかと徐々に考えてきたところでございます。 
(4)行政としての警察捜査
 やはり警察捜査というのは関根謙一氏の言う通り警察法第1条の目的に則して執り行われるべ
きものであって、すなわち、公判の提起・追行のための手続き、これが普通、捜査と言われてい
るもの、司法警察論の中でも言われているものですが、それをBと私は称しております。このB
の側面に加え、被害者の救出、被害の極小化、被害拡大の防止等、これは警察官に捜査権を授権
した警察法の同法第1条の目的から由来する犯罪の予防・抑止の一部でありまして、私はAと
申し上げています。
 警察捜査は、授権されている警察法の1条の目的から由来するA+Bの責務を併せて果たすべ
きものでなければならないのです。
 さらに、管轄区域の法定が必要であることから、刑事訴訟法第189条第1項の「他の法律」に
警察法が入っていると解釈せざるを得ないだろう、と言えます。そう考えますと、A+Bの警察
捜査というものが、すなわちこれを「行政としての警察捜査」と私は呼んでいるのですが、この
A+Bの警察捜査が、刑事訴訟法第189条第1項によって刑事訴訟法上も承認されていると解
されることとなる、という結論に至りました。
 つまり私の言っていることは、私の独断では全然なくて、現場で日常行っている警察捜査をそ
のまま理論化しただけなのです。また、関根謙一さんが警察法1条の目的の捜査ではないかと言
っておられたことをそのまま踏襲しているだけです。私がそれに付け加えたものとすれば、刑事
訴訟法も、同法189条1項により、A+Bの警察捜査を承認しそれを前提としている、という
ことだけです。
 このように解して、漸く現場で行っている被害者救出や被害の極小化、被害拡大防止を図る、
行政目的として捜査理論上、これまで顧みられなかった部分を含んだ警察捜査の全体が、法的位
置付け、その適正性も明確となって、また公安委員会規則を含めた法定手続きによるコントロー
ルも徹底できるものとなると考えました。
 さらに言うと、警察捜査が昭和22年(旧)警察法制定により独立捜査権を得た意義も、単な
る独立には留まらず、刑訴法解説で大先輩の桐山隆彦さんが言っているのは、まさに独立論を言
っているのですが、私は独立論だけではないだろうということをここで言っております。従来の
検察を中心とした「公判のための捜査機関」の範疇を超えて、警察は、国民等が警察法を通じ要
請している、犯罪等に遭わないように、もし遭った場合は被害をなるべく受けないように等の要
請にも応えるべき「国民等のための捜査機関」として、警察が明治以来初めて意義付けられた点
も、より明確に出来ると考えているものです。つまり警察捜査の意義は、単に“公判のための捜査”
ではなく“国民等のための捜査”なのだということを、考え方として明確にできると思っている
— 9 —
ところです。
(5)発表に至るまで
 発表に至るまでというところですが、「司法警察論」というのは最高裁判事まで上った横井大
三氏が、昭和23年の刑訴法改正を担った責任者である先輩宮下明義氏の説を覆し、宮下氏の説
というのは先ほど言いました刑訴法第189条第1項の 「他の法律」 というものに警察法が含まれ
ているということを彼は明確に言っております。ところがそれを否定したのが横井大三氏です。
これは後で申し上げますが、刑事訴訟法にも違背していますし、警察法にも違背している説です。
しかしそれにもかかわらず、検事総長として有名な伊藤栄樹氏ほか検察の面々が挙ってこれを解
説書等に踏襲し、刑事法学者の面々も鵜呑みにする人ばかりの状況にありました。
 私も、平成後半には、だんだん確信を持ってきたところですが、警察内で徐々に重いポストを
担う立場となり、1人の個人としてこれを発表できるかと言うと、なかなかできない。個人とし
て発表しても、たぶん警察組織を代表する論となってしまう。生安局の審議官や刑事局の審議官
をする状況になっていましたので、個人の発表というわけにはいかない。組織全体での了解を取
ればいいのでしょうけれど、それも大変忙しい中で無理でしたので、個人として発表することは
なかなかできない状況になっていました。
 もし個人的に発表しますと、冷静な議論に留まらず、現場で組織間の軋轢が生じたり、偏見の
強い左のほうの学者の方からは見当違いの批判が生じたり、マスコミがそれらを面白おかしく取
り上げ、無用の誤解や感情論に陥り、警察組織に迷惑を掛けるのではないかと判断いたしました。
 一方、捜査現場を担う方々の反応も知りたいことから、私は政策センターの所長や警大の副校
長もやっておりますし、生安局、刑事局の審議官もやっていますので、警大で講義したり、生安
部門の全国会議や刑事部門の全国会議の中で具体例を挙げながらこのA+Bの警察捜査につい
て皆さんの意見を聞いてみました。
 そうしますと、「感銘を受けた」「我々の捜査観を代弁してくれた」等々反響、支持は大変大き
く意を強くするものがございました。そこで、批判部分はなるべく避けて、あまり揉めないよう
にという形で、梗概のみを「捜査研究」(20年6月東京法令)に載せました。載せて反響はどう
かと言うと、部内で何人かの方が「これはすごいことを書いているね」と言ってくださいました
が、学者等部外の反応は一切ないという状況でした。しかし、このぐらいにしておこうというこ
とにして、退官してから書こうということにしました。
 退官した後は別の問題が生じまして、ある雑誌、というのは警察学論集でありますが、これに
載せようとして後輩である担当責任者に原稿を見せたところ、現場で理論と実務が大変違ってい
ることで困っていることを理解していない人だったのだと思いますが、「通説に反しているから
載せられない」と、ただちに断られた状況でした。また主張の論拠の一つに挙げたストーカー対
策への提言を「長官に対して失礼だ、このようなものを書くべきではない」とも言われました。
 私は、退官後、実はストーカー対策に深く関与しているのですが、なぜ関与しているかと言う
と、当時の長官から知恵を出せと直接下命を受け、それでこうだああだと考え、こういうことを
— 10 —
考えるべきだとお伝えし、さらに、その長官がお辞めになって次の長官が就かれ、そこで次の長
官の施策に、こういうことを考えるべきではないかとお話しし、その長官は、すぐにそれを採用
していただいて、5月の全国会議でも話をしていただき、10月の全国会議でも話をしていただい
た。そのことを理論を裏付ける例として淡々と書いたのですが、これも書くべきではないと。こ
の君は、各方面に忖度ばかりが激し過ぎるのでがっかりしまして、そこで「わかった」というこ
とにしまして、「季刊 現代警察」や「日刊警察」に書きまして、この度漸く出版に至った次第
です。おそらく現在も、“公判のための捜査”としか考えない検事の指導を受け、また“過去完
了形”の事件ばかりを扱う専門部署におりますと、現場の刑事諸兄は、どうしてもBだけに考え
が集中してしまいがちとなり、Bにしか捜査の意義を見出し得ない方も出てきてしまうのではな
いでしょうか?
 もちろんBのことを私は否定しているつもりではありません。きちんとした詰めをやる捜査は
大変大事なのですが、A+Bが警察捜査なのだということを忘れ、Bにしか関心がない捜査官が大
変多いのではないかと未だに心配しており、是非これは改めてもらいたいということで書いたも
のでした。
4 レジュメ『警察の真髄』(警察捜査関係部分の概要)
 次に『警察の真髄』という資料にしたがって、捜査関係部分の概要についてお話します。
(1)警察政策の基本
 警察政策の基本ということだけちょっと触れたいと思っております。といいますのは、警察捜
査の私の考え方は、この警察政策の基本的な考え方と一致しておりますので、前提論として申し
上げたいと思います。
ア 出発点=国民は何を望んでいるのか 
 警察政策の基本をどこに置くべきかということですが、国民等は何を望んでいるのかというこ
とから考えるべきだろうと私は思っております。それはなぜかといえば、国民主権だから当然の
ことでしょう。また、警察法の第1条の目的規定が、正に国民からの要請としてそこに表現され
ているのだろうと考えます。
 そこから考えると、何が警察政策の基本なのかというと、『二段構えの方策』と私が呼んでい
るものとなります。まずAで治まるのが理想です。Aというのは、その下に書いてありますが、
予防・抑止です。予防・抑止で世の中が治まることが一番望ましい。どうしてもそれで治まらな
いという事態におきましては、警察は何をなすかというと、Bだけではないのです。そこでもA
+Bをなすというのが、警察の政策の基本であろうと思っています。
 その考え方の根拠は、その下に◎で現行法における根拠ということで書いてあります。
 警察法をはじめ各法の目的規定に「安全」「防止」「保護」とか、色々そういう言葉が明示され
ています。これは国民からの要請であると私は捉えるべきだと考えています。国民の望みは、ま
— 11 —
ず犯罪等の予防・抑止、Aでありまして、“全て世はこともなし”に尽きるのであろうと。です
からAを第一義にして警察は政策を採るべきであると。それは法の本質からいってもそうだろ
うと思います。
 法の本質というのは事前強要と事後強制、簡単にいえばそう言われています。正に法というの
は、後で検挙する事後強制だけを狙っているのではなくて、(自由主義を前提に、)法に国民がみ
んな則って、ルールに従って行動していただけるのであれば、被害者も生じず、加害者も生じな
いわけで、それが一番望ましい世界だろう。そういう世界を目指すのがAであろうと思います
ので、まずAの優先を徹底すべきだろう。それでも治まらない事態に対処するのはA+Bの努
力をすべきで、Bのみではない。警察法は、発生後の鎮圧、救助、犯罪の極小化、犯罪の拡大防
止等も要請している。これらはすべてAの一部でありますので、Aの要請は事案発生後も実は続
いている。つまり、まずA、それで治まらないときはA+Bの努力をする、のが警察政策の考
え方であろうと思います。
 次の歴史的検討。あまり詳しくは触れませんけれど、現行警察法第1条の考え方は、明治8年
の行政警察規則第1条から来ていると私は思っております。行政警察規則第1条は、「行政警察
ノ趣意タル人民ノ凶害ヲ予防シ安寧ヲ保全スルニアリ」 とその下に書いてあり、これが考え方で
す。この考え方は川路利良の建議から来ている。川路利良の建議は明治6年ですが、明治6年建
議の冒頭部分はその下に書いてあります。「警察は国家平常の治療なり。…能く領民を保護し内
国の気力を養ふ者なり…」から来ています。では、この川路利良の建議はどこから来ているのか
というのが大問題です。従来これはフランス法、プロイセン法、いずれも警察法ですが、そこか
ら来ている、と言われてきました。ここではあまり詳しく申し上げませんが、そこに書いてある
言葉は、「公共の安全、秩序、個人の安全、切迫する危険防止」 等の言葉が使われています。
 しかし、川路利良の建議にしろ、行政警察規則の第1条にしろ、そういう言葉ではないのです。
凶害を予防する、安寧を保全する、国家平常の治療であるとか、そういう言葉が使われている。
これはフランス等から来ているのではないのではないか?と私は思っておりまして、二宮尊徳を
記した『報徳記』が岩波文庫にありますが、それを読んでいるうちに、はたと、江戸の昔から来
ているのではないかと気が付いたところです。
イ 武士の職務規範…国民の安全を図り、その疾苦を除く
 今日、時間があれば詳しく説明したいのですが、たぶんその余裕があまりないと思いますので
簡単に触れます。
 武士の職務規範はどういう考え方かというと、『報徳記』によれば、“国民の安全を図り、その
疾苦を除く”、こういう考え方が、当時の小田原藩重職たちの職務規範だったということが二宮
尊徳との問答において明確に立証できます。その考え方は、上杉鷹山の「伝国の辞」にも明確に
出ております。元々これらの考え方を形作ったのは保科正之であろう。多摩川上水の件もそうで
すし、明暦の大火への対応でもそうです。一番典型的なのは、明暦の大火からの復興のため、江
戸城天守閣を再建しなかった。民間に16万両の拠出をする。ほとんど幕府の軍資金が空になる
— 12 —
わけです。由比正雪の乱の直後のことですから、幕閣の中には大変強烈に反対する意見がありま
した。そんなことをやってどこかの大名が騒ぎ出したら幕府は抑え切れないのではないか、全然
軍資金が足りないではないか、そんな状態をつくるべきではないと言って、旗本救済までのお金
の供出にはみんな賛成したのですが、庶民救済のお金16万両の大供出には断固反対したのです。
正之は、「正にそういうことをこういう時にやれるのが国家として幸せなことなのだ、金を持っ
ていても、出さなければ金が無いのと同じではないか」 と言いまして、執政としてそれを断固実
行するわけです。
 そういう中で、焼失した江戸城天守閣をもう1回作り直そうという動きがあったのですが、そ
んなことをやっている余裕はない、天守閣を再建するより庶民復興へ金を供出することを優先し
たわけです。その民生を優先する考え方を歴代の幕閣が引き継ぎ、それ以来、江戸城には天守閣
がないという状況なのです。
 現在、江戸城天守閣を再建しようという動きをする方々が東京にいるのですが、私はこれに大
反対です。つまりそういう江戸幕府の幕閣たちが庶民の安全を優先するという考え方に立ち天守
閣を造らなかった、これこそが日本のまさに、世阿弥風に言うと「まことの花」と私は言ってい
るのですが、そういうものでありまして、これを観光客である外国人に説明する方が、よほど日
本はすごい、と理解される。ノイシュヴァンシュタイン城やベルサイユ宮殿など壮麗なお城を見
せるよりも、日本はそういう城を造らずに庶民救済を優先しお金を出したと言う方が、よほど日
本の善き伝統を世界に明示することにつながると考えております。
 この正之の考え方が、武士の職務規範となり、そういう考え方が日本全体に広まったのでしょ
う。江戸時代の基本となった。そして、明治の警察組織が、武士階級出身者を中心に構成された
のも大変大きなポイントだったろう、と考えています。
 また、この正之の考え方は、戦国時代から生じてきていると私は考えております。徳川家康、
武田信玄も含めまして、それが領民との間で責務化していった。領民が、そういうことをちゃん
とやる大名にはついていきましたが、きちんとしない大名にはついていかなったのだろう。です
から、当時から大名等の責務になっており、庶民もそれを支持していたと考えます。そういう責
務をきちんと果たす大名を支持して領民がそれについていった。つまり富国強兵策というべきだ
と思いますが、明治維新だけではなくて、実はこの時代にも富国強兵策がなされていたと私は考
えております。
 そういう責務を武士がちゃんと果たす、その責務が江戸時代に武士の職務規範として伝統とな
り、明治時代の警察につながって、行政警察規則第1条の考え方につながっている。ですから、
これは庶民も支持した考え方・伝統であり、その庶民も支持した考え方・伝統に従って警察が行
動するから、警察は国民の支持を得ている、国民の協力も得られる。逆に、警察がこれに反する
ことを行えば、大変手厳しい批判を受けるのも、そういう考え方・伝統から来ているのだと思っ
ているところです。
— 13 —
(2)司法警察論批判
ア 司法警察論は誤り…刑訴法、警察法に違背する論
 本論に移りますが、司法警察論批判ということをお話したいと思います。
 司法警察論は誤りです。刑訴法にも反しますし、警察法にも反する論です。欠陥論と私は捉え
ていいと思います。なぜ、こんなものを誰も批判する人がいないのかということを非常に残念に
感じております。
 刑訴法第189条第1項の「他の法律」について、昭和23年刑訴法の制定事務に当たった責任
者の宮下明義氏の説では、当初はここに警察法も含まれるという解釈をされていました。ところ
が、後年、横井大三氏は「現在別に法律はない」と解釈転換を図っております。私は1回この人
の本を買ったのですけれど、がっかりしてそれ以上買わないので古いものしか持っておりません
けれど、正にポケット刑訴法の彼の捜査論の中で、刑訴法第189条第1項の解釈として、「現在
別に法律はない」と書いております。これは宮下明義氏の解釈とは全然別のことを書いているわ
けですが、それが司法警察論の論拠となっており、横井大三氏は「犯罪捜査は司法警察であり、
基本は刑事訴訟法の規定するところ」と言っているわけです。
 ここで注意していただきたいのは、「他の法律」に警察法が入っていないと彼が解釈している
以上は、警察法への委任を否定しているのです。ここがポイントです。刑訴法に基づき捜査すべ
しとしているわけです。その捜査というのは、先ほども言いましたが、検察と同じ捜査である。
それは公判廷のための捜査、刑事訴訟法第1条の目的を達成するための捜査と言うべきだろうと
思います。
イ 《反論》~①立論の根拠が刑事訴訟法に違背
 これに対する反論について述べさせていただきますと、一つ目は、立論の根拠が刑事訴訟法に
違背しているということです。刑訴法第189条第1項、いま申し上げているここが焦点ですが、「警
察官は、それぞれ、他の法律又は国家公安委員会もしくは都道府県公安委員会の定めるところに
より、司法警察職員として職務を行う」というのが刑訴法第189条第1項です。問題は他の法律
に警察法が入るか入らないか、ただそれだけのことです。
 刑訴法第190条では特別司法警察職員については、その職務を行うべき者、その職務の範囲、
これが管轄区域外の職務執行を認めるか認めないかということを含めた職務の範囲であります
が、これは別に法律で定めるということを190条では書いております。同法第195条では検察官、
検察事務官についての規定がございます。これは直接刑事訴訟法で書いてあります。管轄区域外
で職務を行うことができると書いています。旧刑訴法では、第252条に検察官と共に司法警察官
吏について明示されていて、管轄区域外で職務を行うことができると書いてあったわけです。旧
警察法は昭和22年に制定され、現刑訴法は昭和23年に制定されています。こういう関係になっ
ていることをご理解いただきたいと思います。
 その下の○、刑訴法上の権限の行使範囲を定めることは、間違いなく法律事項です。必ず法律
— 14 —
上明定する必要があります。旧刑訴法においても明定しておりました。新刑訴法においても検察
官についても直接書いています。特別司法警察職員についても明確に規定しており、他の法律で
定めると書いてあるわけです。刑訴法にはそう書いてあります。
 警察官についてはどうなのかというと、「他の法律」に警察法も入っていれば、警察法に委任
していると読めるのですが、これに警察法が入っていないと読む以上は、委任の根拠がないわけ
ですから、警察官についてはこれを否定することになります。そうすると職務範囲というものを
法律で規定していないということに通常は解釈すべきでして、横井氏のように解釈を転換するこ
とは実は不可能なのです。彼は簡単に解釈を変更したのですが、ここに警察法が入っていないと
解釈転換したとたん、法の欠缺状態が生じることとなります。
 検察官、特別司法警察職員の刑訴法上の権限の行使範囲については、刑訴法上明確に規定しあ
るいは他法に明確に委任しているが、刑訴法第189条第1項の「他の法律」に警察法が入らない
とすれば、警察官のみ刑訴法上の権限についての行使範囲が刑訴法上無規定となり、警察法にも
委任していないことになります。これは法の欠缺状態を招くあり得ない解釈であり、違法解釈と
呼ぶべきだろうと思います。横井大三氏は、宮下明義氏の解釈の転換を図ろうとしましたが、警
察官の刑事訴訟法上の権限の行使範囲を法の欠缺状態にし刑訴法の法体系を壊すものとして採る
べき解釈ではない、と私は言うべきだと思っております。
ウ 《反論》~刑訴法解釈の論拠がごまかしに過ぎず、解釈論として成立していない!
 二つ目の論拠が、刑訴法の解釈の論拠がごまかしに過ぎず、解釈論として成立していないとい
うことです。横井氏はポケット刑訴法第195条の解釈の冒頭、警察官の管轄区域外の職務執行に
ついて、突然警察法の関係条文を示し、刑訴法上規定されている権限についてその行使範囲を説
明したつもりになっております。私が言うのは、警察法上の権限ではなくて、刑訴法上の権限に
ついて説明しております。自ら警察法への委任を否定したはずが、警察法を根拠に刑訴法上の職
権を行使する範囲を決めているというわけですから、条文ごとに解釈の論拠が変わっているのか、
自らの主張を自らが否定しているのか、それとも法律に関係なくご託宣を述べておられるのか、
ごまかしているのか、という問題が出てきます。警察法に委任するという論拠は一体何処にある
のでしょうか?横井氏の解釈はここで理論的に誤っており、解釈としても成り立っていない、破
綻している。司法警察論の根拠が崩壊していることが明白と考えます。
エ 立論が警察法に違背
 三つ目として、立論が警察法に違背していると思います。警察捜査は警察法により授権されて
おります。正に22年旧警察法によって授権されております。現警察法も引き続き授権根拠とな
っているわけです。その警察法に基づいて警察捜査が行われるものである以上、警察法の目的に
則して行われるのが当然です。ですから、関根さんの説明はそこから出てまいります。国民から
の現実の要請もそうなっております。まさに誘拐事件について被害者の無事救出を、という国民
からの要請が強くありますし、マスコミも当然と思っております。警察官もそれが当然だと思っ
— 15 —
ています。つまりA+Bの捜査ということを当然の要請として受け入れている。それは単に現
実の要請というだけではなく、警察法の目的規定に従って行う捜査として当然と言われるものと
なっているわけです。
 司法警察論というものは、Bのみを指向するものです。検察捜査と同様のものです。伊藤栄樹
氏ら検察出身者の解釈は、これを踏襲しております。明治以来の検察の考えです。つまり検察捜
査というのは、刑事訴訟法第1条の目的規定に従った公判のための捜査でしかない。公判に対す
る提起、公判の維持・追行を目的とするものでしかないわけです。警察捜査はそれだけで済むも
のではなく、国民からの要請に対処できない、警察法にも反しているということになるわけです。
 誘拐事件は先ほどから申し上げております。人質事件も同様です。それから悪質商法もそうで
す。先ほど言いました被害者拡大防止を図るための広報措置というものは漆間さんが言い出して、
それを捜査の途上に挟む形にしております。この段階での広報措置というのは、一見捜査が進展
していると思うかもしれませんが、逆です。この広報措置は、犯人側に証拠隠滅の機会を与える、
逃走の機会を与え得るものであり、刑事訴訟法に反する行為と、簡単に言えば言うべきものです。
 私は毒入り餃子事件でまさにそれを体験しました。私は審議官でありましたけれど、千葉と兵
庫ですか、両科捜研からJTフーズの冷凍餃子の袋の内側からメタミドホス等が検出されている
という報告が上がってきました。これはすぐ広報せよということを、私はもちろん指示していま
す。もちろん警察庁で誰もそれは異論がありませんでした。千葉県警でも兵庫県警でも、誰も異
論がありません。当然のことでしょう。その日の夕方には大々的に広報していただきました。し
かし、もしこの報告が間違いであれば、莫大な損害賠償請求をJTフーズという会社のみならず、
冷凍食品全体が売れなくなりますから各地のスーパーマーケットからも出されることは必至でし
た。つまり被害者や関係者、第3者の権利を、ある意味では侵害する捜査の広報を、事件もまだ
はっきりしていない段階でやっているわけです。
 こういうことをなぜやれるのかといえば、われわれの捜査が刑事訴訟法だけに基づいているの
ではなく、警察法に基づく捜査であるから、警察法の目的を達成するための捜査であるから、こ
の場合でいえば、被害者をこれ以上出すべきではない。既に餃子は流通しておりますから、他に
もその毒入り餃子を誤って食べる人が出て、重篤な状態になることを防ぐため、広報をやったわ
けです。
 事件捜査の過程でそういうことをなぜやれるのか。刑事訴訟法の目的にも反し、証拠隠滅に手
を貸すような行為でもあります。刑訴法第196条にも反しますし、犯罪捜査規範の第9条、第
10 条にも反する行為です。しかしなぜそういうことができるのだといえば、われわれの警察捜
査というものが警察法に基づいた捜査をやっているからと言わなければならない。そう言わない
限り、われわれのやっている捜査は違法捜査と指弾されるものでしかないだろうと思います。言
い過ぎでありますが、そういうことを考えたわけです。桶川ストーカー殺人事件についても先ほ
ど申し上げたように同様です。
 警察は「公判のための捜査機関」を越えて「国民のための捜査機関」とならなければならない、
それは警察法にそう規定している、A+Bの捜査でなければならない、そうでなければ警察法を
— 16 —
授けた国民は納得しないのだということです。
「警察法の解釈の誤り」 のところですが、横井大三氏は刑訴法第189条の解釈において、警察
法というものを大変軽んじようとしております。どう言っているかというと、「警察法は組織法
であるから、それは警察が抽象的に捜査を重要な任務の一とすることを定めたものに過ぎない。
もちろんそれに基き捜査の目的を達するために必要な処分をすることは明文はなくても認められ
ているものと解すべきであろう。ただ司法警察員又は司法巡査でなければ刑事訴訟法上の権限を
行使できない。警察の活動は司法警察と行政警察とに分れる。犯罪捜査は前者であり、その他の
警察活動が後者である」うんぬん、かんぬんという形で、警察法の意義を軽んじめようというこ
とを徹底して書いているわけですが、それは誤りです。
 単なる組織法だからというのを彼は論拠にして演繹しているのですが、そうではない。警察捜
査の授権根拠も警察法から来ております。それから警察捜査の目的も警察法に規定されておりま
す。警察捜査の行使範囲も、先ほどから申し上げていますように、管轄区域の範囲も警察法に規
定されております。運用・手続きの適正を下位法令で規定することを可能にしているのも警察法
です。国家公安規則とか都道府県公安規則で規定することも可能にしております。刑事訴訟法に
おいてすら、そのことを前提にして書いているというのが189条第1項です。ですから、そうい
うことを規定した上で組織を書いているのが警察法であり、単なる組織法だからとの観念論で、
現実の警察法の各条文を無視した解釈を採るのは、論理的にも誤りだと言わなければならないと
思います。 
オ 《結論》
 そこから結論としては、刑訴法第189条第1項の「他の法律」に警察法が入り、同法に委任し
ていなければならないのであり、ここに入っていなければ刑訴法は警察法に委任していないと考
えるしかなくなってまいります。しかも、私の申し上げている考え方は刑訴法制定時の公定解釈
と言っていいと思いますが、宮下さんは当時、法務庁の刑事課長として刑事訴訟法の改正を担当
した責任者、捜査部分については彼が責任者として改正したのです。彼の解釈は公定解釈といっ
て間違いではないだろうと思います。警察法は入っていると彼は言っております。これが、職権
行使範囲は法定しなければならないという法律事項の必要性にも明示的に合致する解釈だろうと
私は思っております。
 するとどうなるかというと、“刑訴法上の権限行使について警察法に委任し、警察法の定める
ところにより行うことを可能にしている”このように同項の解釈は取れるということになります。
そうしますと、◎警察捜査は警察法に拠り授権され警察法の目的を達成すべきもの。警察法に拠
りA+Bの捜査を行う中で、刑訴法上の権限も行使し、刑訴法の目的でもあるBも達成すれば
よいと解される。しかも刑訴法189条第1項の規定により、それは刑訴法上も承認されている。
そのように解釈できるということを、ここで申し上げたいと思います。
 なぜこういう考え方を警察官ですら、一線の刑事ですら取らずに警察捜査はBのみと誤解して
きた人が多いのかということです。それは横井大三元最高裁判事や伊藤栄樹検事総長、またその
— 17 —
下にいた検事たちの書く刑事訴訟法の解説がそういうものだったというのが一番大きいと思いま
す。学者の方でもこれに反論する人は誰もいなかったという状況だと思います。
 それから、検察官の講義というものを警察官が刑事になるときに受ける。検察官というのはB
しか頭にありません。検察捜査というのはBだけですからBしか考えない人たちの講義を受講
して、そういうものかと思ってしまう、誤解してしまうということが非常に多かったのだろう思
います。
 それから、検挙専門部署の悪癖という弊害もあるだろうと思います。検挙のみを自己目的化し
てしまう、刑事警察は検挙だけをやればいいのだと思ってしまうと、A+Bということを考えず
に、検事と同様の検挙をやることだけを考えればいいと思ってしまいがちになります。
 それから、“過去完了形”の事件ばかり扱う専門部署の弊害もあると思います。全てとは言い
ませんが、捜査一課の中心は殺人事件です。捜査二課の中心は贈収賄事件です。これらは、通常
の単純な事件で考えますと、いずれも過去の事件で、既に終わっている事件です。私はこれを“過
去完了形”の事件と称しているのですが、そういう“過去完了形”の事件ですと、A+Bの捜査
が本来なのですが、Aからの要請が少ない。今動いているという事件であればAからの要請がい
ろいろ出てくるのですけれど、そういう要請が少ないものですから、Bのみの事件を詰めること、
公判廷で立証を的確に図ること、そういうことのみに捜査のプロとして一生懸命になってしまう。
 これはあながち否定すべきものではもちろんないのですが、Bのみのプロを目指すべし、と誤
解してしまう。捜査一課、捜査二課の刑事たちがそう誤解してしまうと、若い人たちはその一課、
二課にあこがれて刑事になろうという人が多いわけですから、なおさらそういうものだと思って
しまって、A+Bを忘れてしまって、Bだけを中心に捜査をしてしまうことになりやすいのでは
ないか、と思うのです。
 司法警察論の弊害ということで、私は、これは大変罪深いものだと考えております。法律的に
間違っているだけではなくて、事後的な検挙中心主義に陥ってしまう。国民からの要請、まさに
被害者を救出してくれ、被害拡大を抑止してくれ、被害を小さくしてくれという国民の要請を無
視してしまうことに繋がりかねない。
 アメリカの失敗というのも、検挙一辺倒になって、検挙さえすればいいという考え方から、ア
メリカの警察はどんどん検挙して刑務所が一杯になり、一杯になっても治安維持のための他の手
段を持たされないものですから、また検挙しなければいけないという状況になって、刑務所を拡
大しなければいけない、刑務官を増やさないといけないと、捜査コストが大変増えた。
 そこでどうしかたというと、アメリカにおいては“特化”という政策を採って、重要犯罪のみ
に特化する、身近な犯罪を放り出す。そういう形になってしまい、身近な犯罪を放り出すがため
に、国民は被害を受けても警察は何も対応してくれないという状況になり、自転車1台盗まれる
うちは我慢していますが、2台目、3台目も盗まれるという状況になると、チャンスがあれば自
分も盗んでやろうと、先ほども申し上げましたが、国民が犯罪者の“予備軍化”してしまい、『治
安の悪循環』という状況に至ったと思っております。
 それから、オレオレ詐欺等に対しても捜査官が無自覚でありました。これは私が刑事局の審議
— 18 —
官になった当時、当時はまだ関東地区だけでオレオレ詐欺が起きており、全国へ波及していなか
ったという状況でありました。それで二課系統の課長、理事官クラスといいますか、警視庁も含
め関東管区内の幹部を全部集めて会議をやりました。そこで私は一つのアイデアを提示したので
す。皆さんのところには防犯協会もあればOBの人もいるでしょう、そういう人たちに協力を求
めることはできないでしょうかということを申し上げました。というのは、当時の警察がやって
いることは、郵便局や銀行に協力を申し入れて、そこに警察官を張り付けたりして、金を振り込
もうとする人を防ぐというキャンペーンをやっているといった状況でした。
 それだけでは足りない、というのは、我々の方はそういう広報措置を一生懸命やるが、広報と
いうのは一生懸命やって最高に機能して3割、4割の人がその広報に従ってもらえれば、素晴ら
しい広報の成果です。一番すごかったのは何億円も金をかけて草彅剛という当時SMAPの人気
者を使って、地上波を止めるからデジタルテレビに買い替えてくださいというキャンペーンをや
って1年間でどれだけの効果があったかというと、実は60%でした。つまり国民が真に必要だ
と思ったことですら、キャンペーンをやっても広報措置は6割で、普通の広報であれば3割がそ
れに従って行動していただければ素晴らしい効果なのです。ですからオレオレ詐欺を防ぎましょ
うと、いくら広報してもそれに従って行動していただける国民は、3割か4割だと思わなければ
ならない。
 それに対して相手方、被疑者側は、1日100人に電話をかけて1人引っ掛かってくれれば良い
のです。1人引っ掛かってくれて平均400万円、そこから金を引き出せればそれで大成功なのです。
つまり相手は100人に電話して1人成功すれば良く、99%失敗して良いのです、ガシャンと電話
を切られて良い訳です。そういうことに対して、我々の広報措置だけでは対抗出来ない訳です。
 対抗出来ない上に、また事後に捜査をすることも大変困難。当時は銀行口座にしろ、携帯電話
にしろ、追及捜査がなかなか困難な状態を彼らは作っておりましたから、そうすると追及捜査は
実質できない。それならどうするのだということを考えるのが警察の役目です。そうしないと、
捜査ができない以上は治安の維持ができないという状況になってしまいます。それは大変重大な
問題を引き起こす訳ですから、知恵を出すべきなのです。そこで、先ほど申し上げた防犯協会や
警察OBの協力を求められないだろうかと私は申し上げたのです。
 というのは、そういう人たちのところにも、そういう電話が掛かってきているわけです。「俺は、
その時詐欺だと分かったから、ガシャンと電話を切ってやったぞ」というのが当時の自慢話でし
た。そうではなくて、その人たちの協力を求めて「そうか、分かった。金をすぐ用意するから」
と言った上で警察に通報していただいて、警察はすぐ対応するというやり方が出来ないのか、と
いうことを私はその場で申し上げたのですが、何の議論もなく、関東の幹部を集めた会議なので
すけれど、誰も一つも発言しない。こういう状況でありました。
 全然言うことを聞いてくれないと思っていたのですが、神奈川県警だけが唯一後で対応してく
れた。神奈川県警だけが私の申したことを具体化してくれて、次々に受け子と称される者を捕ま
えることに成功しました。そして次々と捕まえるものですから、新聞がこれを「騙されたふり作
戦」と名付けまして、神奈川県警を大変褒めていただきました。そうしますと、ようやく他の都
— 19 —
県警がそれを真似して、「騙されたふり作戦」 と名前が付いて全国に波及するという形になって、
一時期、オレオレ詐欺をだいぶ減らすことができたのです。その後、彼らはまた悪知恵を出す訳
で、その悪知恵に対してこちらがいかにして知恵で対抗するかということをやっていかなければ
ならない訳ですが、その時はそういった状況でした。
 そういうことに対して、当時の捜査幹部は全く無自覚で、誰も意見を言わない。神奈川県警を
除いてと言うべきかもしれませんけれど。つまり、事件というものは発生した後に対応すればい
い、という固定観念にみんな囚われている。それで対応できないのであれば、対策を考えるのが
警察の幹部だと私は思うのですが、そう考える人があまりいないということに、実はがっかりし
たことがございました。余計な話を言いました。
(3)警察捜査論(まとめ)
ア 警察捜査は、警察法第1条の目的を達成するための捜査でなければならない
 警察捜査論というものをまとめますと、簡単に言うと何のための捜査かということです。起訴・
公判維持のための捜査なのか、秩序回復のための捜査なのか、国民等の安全確保のための捜査な
のか、被害の極小化等のための捜査なのか。私はこれらの全てをやるのが警察の捜査だろうと思
っています。ですからこういう警察の捜査は、起訴・公判の維持だけを考える検察の捜査よりも
遥かに難しいと私は思っています。そういう意味では、警察捜査は警察法第1条の目的を達成す
る捜査でなければならない。これら全てを担うのが警察法1条の目的を達成するという意味です。
これが関根謙一さんの年来の主張です。
 関根さんの議論では、警察法1条の目的の、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を
維持するための捜査というわけですから、非常に漠然として見えます。捜査というものは、厳密
捜査、緻密な捜査ということを言われていますように、こういう漠然とした文言でやるのを皆嫌
うのです。もっと厳格な表現をしてほしいと言うものですから、私は同じことなのですけれど、
A+Bの捜査。Bというのは、刑訴法第1条目的の捜査と同様部分。つまり検事の検察捜査もこ
のBです。従来言われた司法警察もこのBです。それに対してAは警察法からの授権で生じる
固有部分と言っておりまして、警察法第1条目的の捜査では、A+Bが警察法の授権した警察
捜査であると、少しわかりやすく見える化して説明しているだけであり、関根さんの言っている
こととほとんど同じです。
 このA+Bの捜査というのはBに合わせてAの被害者の救出、被害の極小化、被害拡大の防
止等を図るべきで、これらはすべてAの一部で、それは国民等の念願するものであり、それを
も行うのがわれわれの捜査なのだと言っているわけです。
 警察捜査の3大反省事件は、「吉展ちゃん事件」、「豊田商事事件」、「桶川ストーカー殺人事件」
と私は思っております。なぜかと言うと、1件目、吉展ちゃん事件は、被害者の安全救出が出来
なかった。もちろん誘拐事件に対する捜査体制や捜査技術とか、そういう問題もあったのですが、
一番国民から批判されたのは吉展ちゃんを無事救出できなかったということ、一番の警察への批
— 20 —
判であり、警察の反省事項であったろうと思います。豊田商事事件は、先ほど言いましたが、被
害拡大を押さえ切れなかった、これが最大の反省事項だったろうと思います。桶川ストーカー殺
人事件は、被害者が警察署に来ているにも関わらず、その安全を確保できなかったというのが反
省事項だろうと思います。
 いま反省事項と申し上げた三つのことは全て、刑事訴訟法からは何の要請もない事項なのです。
伊藤栄樹氏の捜査の定義からは、いずれも全く外れているのです。刑事訴訟法では全て無視して
よいのです。ですから、警察捜査を司法警察論に従い検事と同様のものと考えますと、非常にお
かしな議論となり、我々はそういう伊藤栄樹氏の捜査論に従って捜査をしていたのでは誤りとな
るのです。正にこの三つの反省点から来るものは全て警察法から来る要請であり、被害者をどう
やって安全に救出するか、被害拡大防止をいかにして図るか、被害者が警察に来て何とかしてほ
しいと言っている以上その被害者の安全をどうやって確保するかということを考えるのが、我々
の捜査の一部とならないといけないのです。
 検察捜査というのは刑訴法第1条の目的の捜査です。刑訴法第1条の目的というのは簡単に言
うと、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現するのが捜査の目的である
というものです。ですから先ほど言いましたように、誘拐事件を検察官が捜査するとすれば、殺
人が起きれば殺人事件を合わせて立件すればそれで済む、そういう捜査です。警察の捜査とは質
が違うということを考えておかなければならないと思います。
イ S22年警察法制定以来、警察法が警察捜査の授権根拠
 昭和22年警察法の制定以来、警察法が警察捜査の授権根拠です。当時のGHQの考えは、検
察官の捜査指揮権を認めることは、戦前の日本の中央集権主義の悪しき面の一つであり排除すべ
きものとされました。中央集権たる国家が捜査にいちいち口出しをするのを排除し、公安委員会、
自治体警察、国家地方警察が作られて、その捜査は、検察官の個別の指揮を全て排して警察へ独
自の捜査権を授権するという形になったわけです。その根拠を示すために定められたのが22年
警察法です。
 昭和23年成立の刑事訴訟法も、その考え方を前提にし、その第189条第1項によって警察捜
査の意義を承認しているのだと考えられます。昭和29年の警察法、現行の警察法ですが、昭和
22 年警察法の前文にあったものを第1条の目的規定とした訳であり、この前文を第1条に変更
することによって、以上の考え方が完成したのだろうと思います。 
 つまり、昭和22年の旧警察法以降、警察は独立捜査権を担っただけではなくて、まさに国民
のための捜査機関である、とされた、そういうものとして明治以降ようやく成立した。江戸時代
には、実は武士の考え方はA+Bという、そういう考え方で私は運営されていたと思っています
が、明治維新で江藤新平が司法制度、司法警察を先に制定したがために、そういう考え方が採ら
れなかったのです。この昭和22年に漸く江戸時代の考え方A+Bに実は戻ったのだろうと、私
は思っているところです。「国民等のための捜査機関」 となり、「行政としての警察捜査」 を実施
するべきものとなった、と私は考えております。
— 21 —
 なぜ警察が“組織捜査”を行うのかと言えば、検察捜査よりもよほど難しいからなのです。つ
まり起訴・公判の維持だけではなくて、それらに加え、秩序の回復、国民等の安全の確保、被害
の極小化等Aのこともきちんとやらなければならない。Bだけでない捜査を我々はやる以上、頭
が一つではなかなか足りない。ですから“組織で捜査をする”という本質は、そういうA+Bの
捜査をやらねばならないことにあるのであって、人の手が足りないから組織でやるのだろうと考
えるのは、浅はかな間違いです。A+Bの捜査を行うために組織捜査を徹底するというのが本質
でしょう。
(4)行政としての警察捜査(=A+Bの警察捜査)の効果
 実はここを一番言いたいのですが、なぜこんなことを一生懸命言っているかということです。
ア 警察捜査の機能・捜査成果の活用
 私は、「◎警察捜査の機能・捜査成果の活用」ということをもっと真剣に考えるべきだと思っ
ております。現状の救済、被害の極小化等を図るのは当然です。先ほどから申し上げております。
蹴散らし捜査もそうです。広報措置の活用もそうです。被疑者の説得、実は被害者だけでなく、
被疑者に対しても警察捜査は絡んできます。加害者へのアプローチということもAの中に入っ
てきます。
 ですから交渉人なんぞというものを作って、被疑者を人質事件の折に説得するのも、正に刑事
訴訟法からの要請ではないのです。刑事訴訟法からすれば先ほど言いましたように、殺されたら
殺されたで立件すれば良いだけの話です。警察は殺さないようにする、被疑者をも説得し、加害、
罪状を減らし真人間に戻そうとする。これらも、実は警察法の要請です。被害者の救出もそうで
すし、被害拡大防止もそうですということは、今お話ししました。
 さらにプラスしてここで言いたいことは、“将来の犯罪等の予防・抑止へ活用することも、我々
の捜査の大事な役目である”ということです。現在は公判に縛られすぎる現状にあります。警察
はA+Bの捜査ですから、その捜査の分析、捜査の結果等を組織的・戦略的に活用することに
臆することはないということを言いたいと思っています。戦略的活用・公表等に転換すべきだと
いうことを言っています。公判の維持・遂行も重要ですが、Aも捜査の目的とする以上、現状・
将来のAに貢献すべきは当然で、警察の責務と言うべきです。警察法により授権される警察捜
査である以上、他行政への要請や公表等必要な措置を徹底して行って、将来の犯罪等抑止の責務
に応えるべきです。
 実はBでしかない刑訴法ですら第47条にそういうことを表す規定があります。警察はそうい
うことを全く考えずに、公判維持のための要請と検事から言われると、本来は公にして将来の犯
罪防止に役立てるべきことすら、検事の要請で表に出さない、言わない、ということをやってし
まっている。非常な誤りを犯している訳です。事件については広報するにも関わらず、そういう
捜査の成果で犯罪の抑止に貢献すべきことすらやらない、出さないというのは、警察法違反であ
り、警察責務への違反であると本当は捉えるべきです。
— 22 —
 他の行政機関は速やかに原因を公表したり、対策を採っております。警察も同様にその責務を
果たすべきだと考えます。例えば渋谷で温泉シエスパ爆発事件がありました。この時は警視庁が
捜査をしている間に、東京都、環境省が原因を公表し、立法までしている。その後2年経った後
に警視庁が立件し、そのうちの1名は有罪が確定した事件です。つまり、先に原因を公表するこ
とで捜査に支障があったのか、警視庁の捜査を担った方もおられますので、私は聞きたいのです
が、たぶん無いのだと思います。というのは、ほかの例えばNITEなど、いろいろなところでそ
ういうことが行われ、原因公表をやっているのですが、捜査に支障があったという話は、私はつ
いぞ聞いていない。ですから検事に公判廷のために原因を公表しないでくれと言われて、黙って
従っているのは非常におかしな状況ではないかと思っております。
 長野の軽井沢バス事故は、正にその典型です。長野県警は事故の原因をずっと言わない。1年
半にわたって原因のことを一切言っていません。実は公式には今でも言っていません。どこから
出ているかと言うと、事故分析センターに対して長野県警は事故原因を伝え、事故分析センター
が分析の結果としてそれを公表している。2年後にそれを発表しているという状況です。
 しかし国土交通省は、バス事故に対する対策を事故直後から行っております。客観的に見ると、
原因がまだまだわからない状況下で、いろいろな対策を国土交通省がやっているという状況にな
ってしまっているわけです。言うなれば規制緩和で国土交通省が失った権限をこの際回復しよう
ということで、やらなくてもいいことまでどんどんやっていると見える状況さえ生んでいる。本
当は長野県警が自らの責任できちんと、原因はこうだったと見られる、新しいバスに対してドラ
イバーがちゃんとした訓練を受けていないということが最大の原因であれば、それを明確にすべ
きであって、そうであれば、ドライバーに対する教育をどうするか、新しいバスに対して慣れる
ことをきちんとルール化すべきだということを徹底すればいいのですが、それ以上のことを国土
交通省が対策と称して失った権限を回復すべくどんどんやりだしたと見える状況です。いささか
警察がそれに手を貸しているように見えるのは、非常に誤りです。やるべきことは、きちんと原
因を公表等すべきことなのだと思います。
 その次の警視庁DV結愛ちゃん殺害事件、これは最近の事件でありますが、少女の書いていた
ことを捜査一課長は記者会見で明確に発表しております。本来は証拠であって公判廷で述べるべ
きもので、それまでに述べるべきではない、というのが刑事訴訟法の本来の考え方であるはずで
すが、捜査一課長はきちんと自分の判断としてそれを公表しました。それによってDV、虐待事
件に対する日本中の考え方・対応がだいぶ改まりました。まさに将来の抑止につながりました。
そういう考えで捜査の成果を生かすのが警察の本来のあるべき姿ではないか、と私は思っていま
す。
イ 日刊警察に書いた『警察捜査を世に活かす!』について
 お配りしている日刊警察「行政としての警察捜査⑤『警察捜査を世に活かす!』」は、そのこ
とをまとめたものです。
Bのみの検察捜査と大きく異なりA+Bの捜査を行うべき警察は、活動内容もずいぶん変わ
— 23 —
るはずだということを書いています。一つは、公判の見通しが立たなくとも捜査を徹底する場合
が出てくる。
 事例として挙げたのは関西の事件ですが、実は山口組の事案です。白昼、繁華街で暴力団員が
集団で仲間の暴力団員を暴行し、車のトランクに押し込んで逃走するという事案が起きました。
一般人から110番通報がなされ、緊急配備をしてその車を確保しました。当該暴力団員達は仲間
内のことだから自分達で話をつけると主張し、警察は出るなということを言います。なんと警察
本部の暴力団担当課の中にも、被害届を出さない以上、公判維持は無理なのだからやむを得ない
ではないかという同調する意見すら出たという状況でした。
 これに対して、これでは駄目だろうということで、警察は絶対に管内で無法狼藉を許すわけに
はいかない、暴行逮捕監禁で逮捕の上、暴力団事務所、上部団体の本家のガサをせよ、治安維持
の責務を全うし捜査を遂げて検察に送致すべきで、その上で起訴するかどうかは検察の判断では
ないか、我々はやるべきことはなすべきだということを主張して、その側が勝って徹底できたと
いう状況です。
 これは暴力団等ばかりではなくて、革命集団の内ゲバ事件や制裁、閉じられたコミュニティや
会社、学校内での暴力やいじめ等にも共通する問題です。警察官がBだけのための捜査、つまり
起訴されない捜査は行っても意味がないと単純に狭く考えてしまうと、警察は判断をあちこちで
誤り、被害者やその周辺者、国民等から、警察は我々を守ってくれる存在ではないのか、不法集
団に手をこまねくのか等の厳しい批判に晒され、不審を買うこととなります。むろん事案ごとに
きちんと検討し、また起訴に向け知恵を絞るのも当然のことです。そのように判断を誤ってはな
らないということも、捜査の考え方がBだけではないというところから出てくると思っています。
 二つ目は当たり前のことですが、被害者保護、被害拡大防止、被害の極小化等に徹底配慮した
捜査をすることです。これは被害者の面で考えていますが、誘拐事件、人質事件等の捜査におい
て被害者の無事救出を最優先の事項として取り組むべきことは言うまでもありません。また、企
業対象暴力事案に対して、企業と暴力団との関係を断ち切り、企業の健全性の確保、企業取引の
正常化を図ることを念頭に事件化を図るということも同様に重要な任務でしょう。悪質商法やオ
レオレ詐欺との対応において、“蹴散らし捜査”のように迅速な広報措置等を組み合わせ、悪質
業者の足を止め、一般の方の注意を喚起し、また「騙されたふり作戦」のように被害の防止と迅
速な捜査への協力をあらかじめ求める対処手法も、Bしか考えない捜査からは出てきません。ま
た、ストーカー対策の方針変更を長官に進言したのも実は同様の考え方だということを言ってい
ます。
三つ目は加害者の側です。加害の中止、悔悟、犯行拡大抑止、説得等も実はA+Bの捜査か
ら当然出てくるものです。警察は、犯行の過程においても、また、被疑者の取り調べにおいても
情理を尽くし、被疑者に犯行継続を思い留まらせ、犯行のエスカレートを抑止し、また悔悟させ、
真人間に戻す努力をすべきです。交渉人等の活動もその一環と言えましょう。この点もBのみの
捜査においては全く顧みられていませんが、A+Bの捜査の立場からは警察捜査の重要な機能と
言うべきものです。できれば特に少年犯罪については、情動的な犯罪等の抑止活動と連動させ、
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加害者にも将来再犯者にもならないように対処していければ理想だと思います。
 さらに重要なことは、将来の犯罪等の抑止のために捜査の成果を活用するということです。従
来、警察は公判担当検事からの要請を受け、公判重視の立場から捜査の結果について同種の犯罪
や事故の防止に直結し得る原因等が判明してもこれを秘匿し、公益に貢献すべき務めを手控える
事態が見られました。例えば28年1月発生の軽井沢バス事故なども重大事件にも関わらず、外
形的にはその典型的な例となっております。
検事はBのみを考える立場ですから、公判を優先させる要請をするでしょう。警察はA+B
の捜査を行う立場であり、検察とは立場が異なるのですから、同種の犯罪や事故の防止につなが
る捜査に関わる重要情報については、警察法に定められた自らの責務を果たすために必要があれ
ば、公判の実施いかんに関わりなく(自らの責任において)(検事と必要な調整をするとしても)
関係者に通知し、監督官庁に伝え、一般の注意喚起のために公表する等の必要な手立てを行わな
ければなりません。事件広報はするのに、原因等の公表は公益上、公表の必要性が高くても控え
るというのは矛盾し、誤った対応です。将来の事件、事故等を防止するため、捜査の成果や犯罪
等のデータを活用するのも警察本来の大事な責務なのです。
 例えば道路等の施設整備等の改良をしたり、法令で定める安全基準や捜査手順の改訂等も必要
となったり、監督措置を要したり、同業他社に注意喚起し改善を要請したり、一般利用者に被害
に遭わないよう警告を発したり、さらに過失等が発生しても重大事故に至らぬよう措置を求めた
りと、捜査の成果を活用しなければなりません。しかも、渋谷シエスパ爆発死亡事故においては、
環境省や都が事故原因を公表し立法措置を含む対策を講じ、火災事故や航空機事故、製品事故に
おいても消防や事故調査委員会、国民生活センターやNITE等から原因等が公表され、それが通
例、公判に著しい支障を生じることのないことは、すでに明らかというべきでしょう。
 公判のために原因等の公表を控える必要があるというのは、基本的には神話に過ぎないと私は
思っております。警察がA+Bの捜査を行い、将来の犯罪や事故の抑止の責務を担いながら、
現実にそれを果たさないままで済ましていることは許されるべきものではありません。警察庁と
して基準、手続き等を定め、各都道府県警察が本来の務めを果たし活用するよう、仮にも不作為
の責任追及を受けることのないよう早急に対処すべきと思います。また、暴力団や暴力革命集団
等の今後の動向の分析のために捜査で押収した資料や取り調べの成果を活用できることもA+B
の捜査である以上、当然のことです。
 これに対して批判する人もいるので書いています。これは皮肉なのですが、検察捜査はBのみ
に捜査目的が限定されていますから公判以外の活用に疑義が生じる余地はあり得ますが、警察捜
査においては、捜査の成果等をこれら犯罪企図集団等の将来の犯行を抑止するために活用できる
ことに疑義が生じる余地はありません。警察法の目的に則り、犯罪等の抑止と捜査を組み合わせ
て進めていくべきものです。
 長くなりましたが、ご清聴いただきありがとうございました。
— 25 —
質 疑 応 答
司会 ありがとうございました。平素、私どもが見過ごしがちな部分に焦点を当てられたという
ことで大変高く評価されるのではないかと思うのですが、一つお聞きしたいのは、横井さん、伊
藤栄樹さん以降の、最近の法務検察の考え方に何ら変化はありませんか。それから、小野さん自
身がこういう形でいろいろな場所や機会を捉えて述べておられることについて最近、名指しで、
あるいは具体的に反論してきている部分はありますか。
講師 多分、いずれもないというのが現状かなと思っています。法務検察サイドは十分に理解し
ていないのか、もちろんこの本がそんなに売れていないと思いますから、理解していないという
点もあると思いますし、検察官の捜査というのは明治以来変わっていないものです。刑事訴訟法
の考え方も、ある意味では変わっておりません。つまり公判のための捜査というのは、明治以来
ずっと彼らの頭に当然のこととして染み付いていることであり、伊藤氏の学説も正にそのことを
言っているだけ、刑事訴訟法の解釈を言っているだけなのです。しかも、検察の捜査はそれを出
るものではないのです。検察庁法には目的規定が全くありませんから、刑事訴訟法しか彼らを縛
っているものはないのです。
 そうしますと、刑事訴訟法でいう、公判のための捜査、私は簡単にそう申し上げますが、そう
いうものでしかないと彼らは完全に思っております。ですから、伊藤栄樹氏以後の検察官が書い
た著書もみんな同じことをオウム返しに言っているだけであり、どうしても警察官もそれを信じ
てしまうという弊害が出ているのだろうと私は思っております。
 それから、直接批判を受けたことはありません。ただ、私の論を検察官に広めてくださる方も
いまして、こういうことを言っているぞということを広めていただいておりますが、反論等はい
ただいておりません。刑訴法学者の主なところにも、私は以前に書いたときにもお配りしました
けれど、刑法学者で私の意見に賛同していただいた方は何人かおられますが、刑訴法関係の方が
反論したり、189条1項の考え方は改めなければいけないということを明確に言っている方はま
だないという状況だと思っています。
司会 せっかくの機会ですし、まだ時間が十分ありますので、ご意見なり質疑なりありましたら、
どうぞ。
質問者 小野先輩の考え方と私の考えとは、基本的には同じではないかと思っています。また、『講
座 日本の警察』の中で、佐藤英彦先輩が「警察捜査の意義」というテーマで論文を書かれてお
られますけれど、法理論や解釈論はともかくとして基本的な考え方は同じではないかと思います。
 さらに申し上げれば、現場で豊富な経験を重ねてきた検事も、警察捜査というもの、警察目的
ということを理解してくれていると私は思っています。例えば、誘拐事件等では被害者救出が最
大の目的であるとか、あるいは暴力団対策等について攻略的捜査が必要であるということを理解
— 26 —
してくれていると思っています。私が大阪府警本部長の在任中に大阪高検から「管内若手検事に
警察捜査について講演してほしい」と依頼され、それをお受けしました。ところが、講演会場に
行ってみると、若手検事も大勢集まってくれていたのですが、高検からは検事長以下各部長、そ
して大阪地検からも検事正はじめ各部長、更には他府県の検事正も最前列で座っていました。話
が違うじゃないかと思いながらも、若い検事に警察捜査を理解してもらうという趣旨で、佐藤先
輩の論文を紹介しながら、具体的なイメージを持ってもらうために私が現場で実際に経験した事
案等を話しましたが、ベテラン幹部も含めて全員が私の話に「そのとおり」、「なるほど」という
感じで頷いて聴いてくれていました。警察を退職して弁護士となってからも東京地検総務部長(現
特捜部長)に頼まれて東京地検の若手検事の前でも警察捜査の醍醐味、警察捜査の意義、警察捜
査の実際はこういうものなのだというお話しする機会があり、大阪地検特捜部長であった東京地
検の部長や横浜地検の次席検事も傍聴していましたが、大阪高検で講演した時と同じような反応
でした。
 私の経験では、現場経験が豊富で、特に警察と一緒に困難な事件捜査を経験した検事であれば
警察捜査の意義を理解してくれている、あるいは、無垢で無色な若手検事も説明すれば理解して
くれる、と思っています。さらに申し上げれば、福岡の工藤会捜査でも、また、大阪の高槻・寝
屋川の男女中学1年生連続殺人事件の捜査でも、私は地検検事正だけでなく高検検事長、更には
最高検の部長検事等にも直に警察としての捜査方針を説明してきました。
 工藤会捜査については攻略的捜査の観点から戦略と具体的な戦術、捜査方法等も説明し、また、
大阪の事件では女子中学生は殺害され遺体で発見されましたが、男子中学生は生きていることを
前提に男子中学生を生きて救い出すことが最優先であること、そのために速攻捜査を展開した経
緯等を説明しましたが、いずれの事件でも高検・最高検の幹部の皆さんも「同感だ」と言ってく
れました。現場捜査の実務経験が豊富な検察官は体感的に警察捜査の意義を理解してくれている、
それが私の実感です。警察幹部が警察捜査の意義を踏まえて覚悟を持って、つまり自らの責任で、
結果がどのようになっても検察に恨みや文句を言わないという覚悟で、捜査、警察活動を展開す
る、もちろん法と証拠を下に検察官に説明し理解を得ることも必要ですが、そうすれば多くの検
察幹部にも警察捜査の意義と警察の捜査方針を理解していただけると思っています。
 他方で、警察組織内に問題があるのではないかと感じることもありました。捜査第一課、第二
課という話、私の現場経験からすると、事件そのものが過去完了形の事件であっても捜査の展開
の中では能動的な捜査指揮が必要です。特に、暴力団事件や選挙違反等の組織が絡んだ事件の捜
査では、捜査する対象の事件そのものは過去完了形であっても捜査の展開の中で極めて難しい事
態に直面し、高度な判断・捜査指揮、検察幹部との協議等も求められます。そういった修羅場を
経験していない捜査幹部が増えているのではないか、だから、検察官と対等に協議できない、「捜
査は検事に指揮されてするもの」というような感覚になっている捜査幹部も多くなっているので
はないか、と危惧しております。
 それから、オレオレ詐欺の関係で「騙されたふり作戦」について一言。小野先輩が刑事局審議
官在任中に「騙されたふり作戦」を指示されていたことを今日初めてお聴きしました。そう言わ
— 27 —
れればということで思い返しますと、私が熊本県本部長から警察庁の捜査第二課長に異動してか
ら、捜査第二課長室の机の中にあった前任者の時代からの資料を見ると、「誘き出し作戦」を研
究していたと思われる資料、と言っても殆どが「おとり捜査」を研究していたのではという資料
がありました。私は、「既に犯意ある者を誘き出す」ということで「誘き出し作戦」と言ってい
ました。「おとり捜査」の法律的な問題もありません。だから、「おとり捜査」ではないかという
ような資料が何故残っているのかと、違和感を覚えました。また、小野先輩が「騙されたふり作戦」
を既に全国会議で指示をされていたということを知らないものですから、私も全国会議で全国の
捜査二課長を前に「誘き出し捜査」を行うように指示しましたが、全国警察、誰一人それを実行
しようとする捜査幹部はいませんでした。仕方がないので、警視庁、千葉、神奈川、埼玉の警視、
警部クラスの実務家を各都県2人ずつ招致して、こじんまりした会議で、「誘き出し捜査」のみ
をテーマにして協議し指示したのですが、反応がよくない。そこで、私は「誘き出し捜査は既に
犯意がある者を誘き出すのであり、犯意を誘発するものでないので、法的にも捜査実務的にも問
題はない」ことなどを丁寧に説明していると、会議の終盤になって、神奈川県警の高橋さんとい
う警視が私にいろいろと質問してきました。その表情・言葉の奥に「やる気」、「情熱」が見え、「こ
の人ならやってくれるのでは」という思いを持ちました。それで、「高橋さん、神奈川県警捜査
第二課で『誘き出し捜査』を是非ともやって欲しい。逮捕後の総括報告書の中に『警察庁捜査二
課長の樋口眞人が、おとり捜査にならないから、やれと指示した』などと書いてもらっても良い
から『誘き出し捜査』をやって欲しい。高橋さんがやりたいと言えば、石井捜査第二課長も前向
きな人だから賛成し、実務的な知恵も出して、本部長までの了解も取ってくれるだろう」などと
申し向けました。その後、高橋警視と石井捜査第二課長のリーダシップの下、神奈川県警捜査二
課が全国初で「誘き出し作戦」を実行し被疑者を逮捕してくれたのです。その際の広報において
神奈川県警察が「騙されたふり作戦」という表現を用いたことから、私が使っていた「誘き出し
作戦」という言葉は廃れ、「騙された作戦」という名前が全国に広がり定着したのです。そして、
神奈川県警察に働き掛けて、高橋警視には翌春の人事異動で警察庁捜査二課の「振り込め詐欺対
策室」の事件指導担当の補佐に出向で来てもらいました。高橋補佐の下、警察庁が具体的な事件
捜査を強力に指導し、例えば、九州で振り込め詐欺が発生し被疑者が日本海側を北上していると
いうような情報分析結果があれば、被疑者の動きの先を読んで東北の日本海側で被疑者を邀撃検
挙するというような捜査もやっていました。高橋補佐の指導と全国警察一体となった頑張りもあ
って、被疑者検挙が飛躍的に伸び、それに伴い、特殊詐欺の発生件数、被害額ともに3分の1に
減らすことができました。
 更に、振り込め詐欺の関係でもう1点。「追い散らし捜査」ということで一言。
「追い散らし捜査」ということについても、ある場面では必要であるということに私も異論はあ
りません。
 ただ、私が警察庁捜査第二課長に着任した当時は、特殊詐欺について、捜査もせず発生を認知
すると広報だけする、言わば「追い散らし広報」ばかりしていると感じることが何度かありまし
た。そのような警察活動、「検挙せず認知・発生広報だけ行う」、しかも、ご丁寧に「手口を必要
— 28 —
以上に詳しく紹介する」、そういうことをやっているから、「こんなうまい話はない」、「こういう
方法で騙せるのか」ということで模倣犯が増え、暴力団等の職業的犯罪者グループも資金源とし
て今後本格参入していくだろうと思っていました。「追い散らし広報」は抑止どころか特殊詐欺
を増加させ拡大させてくだろうというのが私の実感でした。そういうことにならないように全国
の警察幹部に指示・指導していたのですが、最近また、職業的犯罪者グループの特質、犯罪形態
の違いも理解せず「広報だけしていたら良い」と勘違いしている警察幹部が増えているのではな
いかと危惧しています。
 それから「独立捜査権」というお話もありました。警察大学校等で「独立捜査権」ということ
を教えていますが、机上の理論だけでは「独立捜査権」を現場で実現できません。「独立捜査権」
を実際の事件捜査で実現するためには捜査幹部の努力と力量が必要です。検察官と協議・交渉す
ることが必要ですが、実際の捜査では、起訴独占主義という形で検察官が起訴権限を持っている
ことが警察捜査の高いハードルになる場合があります。そのことにつては後で申し上げますが、
起訴独占主義に関しては、法改正がなされ、検察審査会が起訴相当2回と出せば強制起訴という
ことになりました。ギリギリの捜査を検察官と協議、検察官を説得して進めてきた者としては、
捜査現場で実務的に一番大変なこと、一番の問題は、勾留請求権限が警察にないということです。
「警察が逮捕しても勾留請求はしない」などというようなことを私は現場捜査の中で検察幹部か
ら言われたことが何度かあります。難事件について逮捕後48時間以内で、48(ヨンパチ)で
勝負するというのは現場警察にとっては大変厳しいことです。当然、検察官が勾留請求せずに4
8で起訴してくれるなどということはまずありえないでしょう。だから、ある警察庁の先輩がそ
の著書の中で「検察官が勾留請求しないなら48勝負」というようなことを書かれていますが、
検察官との協議交渉で「警察は48」などということを口に出すことは良くないことだと私は思
っていました。法と証拠に基づいて検察と十分に協議し、検察に警察の捜査方針を理解してもら
うことが大切で、私が「48勝負」というようなことを具体的な事件捜査で口にしたのは福岡の
工藤会捜査の時の1回だけです。工藤会捜査では、検察との協議交渉という中で、私は地検検事
正にも高検検事長に直接説明・協議することを何度も繰り返しましたが、地検では検事正まで福
岡県警の方針を比較的早期に理解・了解してくれたと思っています。しかし、漁協組合長殺人事
件では、過去に工藤会のナンバー2が逮捕され勾留満期で不起訴になっており、ナンバー2を同
じ事実で再び逮捕するということについては、逮捕状が出ても勾留却下される可能性もあるなど
の特殊事情もあったことからか、高検内の検討がなかなか前に進まず、どこが問題かということ
も示されないまま、最高検に上がらない状況が何か月も続きました。そこで、しかたがなく、地
検検事正、高検検事長に仁義を切った上で、私は最高検まで2度説明に赴きました。1回目は福
岡県警暴対部の部長以下幹部も一緒に上京しました。検察側も、最高検公安部長をはじめ最高検
検事だけでなく、東京地検や法務省の検事も陪席し、大勢の検察官の前で福岡県警察暴対部幹部
がDVDも使って工藤会による過去の凶悪事件多数についてこれまで収集してきた証拠を下に丁
寧な説明を行いました。最高検検事から質問があり、私も補足説明をしましたが、質問をした最
高検検事が「裁判員裁判で(も)有罪になるな」と思わず声に出すなど、福岡県警察の捜査方針
— 29 —
を最高検でも理解してもらったという感触を得ました。しかし、その後も高検から最高検に上が
らないまま月日が経っていく、その間にも工藤会による漁協関係者に対する襲撃事件が新たに発
生しましたので、これ以上待てないと思い、私は一対一で最高検公安部長と協議して理解を得よ
うと決心し、上京しました。最高検公安部長に対して改めて法と証拠に基づいて丁寧な説明を重
ね、「最高検から高検に指示して、高検から早く報告を最高検に上げさせ最高検でも福岡県警の
捜査方針を了解して欲しい」などとお願いしましたが、その際に「48勝負」ということについ
ても言及しました。つまり、「これまで収集した証拠だけでも有罪となる自信はある。勾留後も
福岡県警の総力を挙げて捜査を尽くし、更なる証拠収集に努める。2回の逮捕後も次々と事件を
打ち込んでいく。逮捕後、予想しない事実が明らかになるなど思わぬ事態が発生した場合、不起
訴という判断をされても検察に恨み等は一切言わない。48(ヨンパチ)で2人が釈放されても、
これまで収集してきた証拠資料だけでも、裁判で有罪を勝ち取る自信がある。漁協関係者からこ
れ以上被害者を出さないために、これまでの収集した証拠に基づき、警察本部長の責任と権限に
おいて工藤会のトップとナンバー2は逮捕する決意を固めている。」などというようなことを角
が立たないような物言いで最高検公安部長の前で囁き、福岡に戻りました。高検からは最高検に
工藤会事件の報告は上がらないままでしたが、それから程なくして、最高検公安部長が福岡まで
来て「福岡県警察の捜査方針を了とする」検察内部の決裁文書にハンコを押してくれました。工
藤会ナンバー2が勾留却下の場合は48勝負、つまり「求令起訴」することについても了解して
くれました。
 ただ、他方で、「追い散らし捜査」ということに関連して一言。犯罪形態によっては、特に暴
力団事件や職業的犯罪者グループの事件では、「追い散らし捜査」は問題を残すおそれがあります。
私の現場での経験、特に工藤会事件捜査の経験の中で実感したことは、暴力団事件等では警察が
暴力団を逮捕しても、逮捕した者が不起訴・無罪になると、捜査に協力してくれた市民は暴力団
に対する恐怖も相まってその後は警察捜査に協力しなくなる、そして、無罪・不起訴が続くと市
民は警察捜査に信用しなくなるおそれもあると感じることがありました。と申しますのは、福岡
県警の先輩方は、私が福岡に着任する前にも、過去にも、積極的な事件捜査に努め、工藤会によ
る凶悪事件を数多く検挙し幹部も多数逮捕してきました。高く評価すべきことですが、残念なこ
とに不起訴になることも多く、一部事件では検事が起訴しても無罪になるということもあったの
です。そうするとどうなるかということですが、「『工藤会から恨みを買うことを覚悟で勇気を出
して捜査に協力したが、逮捕された者が刑務所に行かない。警察に協力したが報われず、むしろ
工藤会からの攻撃の危険は増した。とても怖い』などと言っている被害関係者がいる。不起訴、
無罪が続くと、多くの市民が工藤会の犯行と思われる事件については被害届を出さなくなる。警
察に協力しない市民も更に増える。」などということを私に強く申し向ける方もおられました。
そういう声もありましたので、福岡着任後、工藤会捜査でも起訴・有罪、実刑判決を獲得すべく
緻密かつ適正、丁寧な捜査に努め、検察には工藤会組員の事件は一般人であれば起訴猶予となる
犯罪類型であっても工藤会の悪質性に鑑みて起訴して欲しいと強く申し入れました。その結果、
逮捕した被疑者の起訴率は格段に上がり、幹部は全て起訴され、裁判所も一般人であれば執行猶
— 30 —
予付きかと思われる犯罪類型でも工藤会組員に実刑判決を出してくれるようになりました。検察
が変われば裁判官も付いてきてくれるのです。なお、私が福岡に着任後に福岡県警察が検挙し起
訴された事件については、これまで無罪判決は1件も出ていません。
 更に言えば、警察を退職後、弁護士になってから、暴力団事件捜査等に何度も協力してきた民
間企業の総務担当者の方から、「これまで何度も警察に被害届を出し、調書作成にも協力してき
たが、暴力団員を刑務所に入れてくれない。逮捕もせず、暴力団対策法の行政命令を出すだけと
か、あるいは暴力団関連施設の捜索をするだけで、後はどうなったか分からない。そういうこと
が殆どだ。警察は情報収集のためだけに我々を利用して、暴力団をそのまま野放しにしているよ
うに感じてしまう。捜査に協力した以上は、被害届を出した以上は、暴力団は必ず刑務所に入れ
て欲しい。そうでないと警察に協力する気持ちになれない。」などという意見もお聴きしたこと
があります。私も「追い散らし捜査」ということを否定しません。消費者被害の犯罪などのある
場面では必要であると私も考えますが、今申し上げたような市民感情もあるということに留意す
べきです。凶悪事件、特に暴力団事件等においては、現場の捜査員を捜査実務面で鍛え上げるべ
きです。丁寧な捜査を尽くし証拠を収集し、法と証拠に基づいて検察官と互角で交渉する、裁判
でも有罪を勝ち取る捜査、捜査指揮に努めることが捜査幹部には必要だと思います。そういった
面でも捜査幹部にハッパをかけることが必要ではないかと思っております。
 刑事局の先住民族として、2年ほど前にこの場で(警察政策学会刑事警察研究部会で)「金・権・
知・暴と闘って」というテーマで、工藤会捜査等を中心にお話する機会がありましたが、具体的
な捜査に関わることも多く、捜査上の秘密や関係者の名誉プライバシーの問題もあり、特に工藤
会事件はまだ公判継続中ですので、いまだ活字にはなっておりません。また、警察大学校運営科、
特捜研等で年に10回以上の講義や、県警からの要請で県警本部に赴いて捜査幹部や捜査員等を
対象として講演を行う機会も何度かあり、講義・講演内容を活字にして欲しいという要望もいた
だいておりますが、これまで活字にしていません。今お話ししましたことは、そのような機会に
お話していることのごく一部、しかし最も捜査幹部に訴えたい事柄です。
 小野先輩のお話に触発され、時間もあるということでしたので、長話をしてしまいました。失
礼しました。
司会 他にいかがでしょう。
質問者 非常に有意義なお話ありがとうございました。教えいただければと思いましたのは、A
とBの捜査ということで、Aが予防・抑止のために不可欠である。国民の警察に対する信頼を維
持向上させるという点では非常に重要な観点だと思いました。
 それでAの部分というのは、警察法がここに入ってくるということだったの思うのですが、警
察法の性質というのは行政法的には組織規範、警察の組織について定めたもので、例えば他の法
令でいえば消防組織法、地方自治法と並びのような組織規範で、行為規範とは少し別のものとい
う理解があると思います。先生のお考えですと、個々の活動が警察法に基づいてどこまでやれる
— 31 —
のか。そこのところの線引きというか、そこはどのように考えればいいのか教えていただければ
と思います。
講師 警察法は組織法だというのは、正に組織を定めると書いてあるからそのように言いやすい
のですが、先ほどから申し上げているように、捜査に関して、授権根拠にもなり、捜査目的も、
警察法1条の目的の、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、というの
が警察捜査の目的と私は捉えるべきだと思っております。
 さらに先ほど言いましたが、職権行使の区域等も実は警察法で定めているわけであり、刑事訴
訟法も189条第1項によって、その 「他の法律」 に警察法も入るということによって委任を受け
て、刑事訴訟法上の権限も警察法の定めるところにより行うこととなり、両法相まって捜査が行
われている、許容されている、承認されていると捉えるべきだろうと思っています。
 つまり、刑訴法189条第1項の「他の法令」に警察法も入らざるを得ない。これがないと考え
ると刑訴法の解釈がおかしくなってしまいますから入らざるを得ない。入るとなれば、同項によ
って、“刑訴法上の職権についても警察法の定めるところにより行う捜査”の中で刑事訴訟法上
の権限行使をも警察官がやるということになると読める。ですから、正に189条1項というもの
が、警察法と刑事訴訟法の調整規定にもなっているのだと私は考えております。委任規定でもあ
り、実は両方の調整規定にもなっている。
 つまり先ほど質問した方が挙げていました、例えば誘拐事件みたいなもので、極端な例で言え
ば、誘拐事件に警察がアプローチして二者択一という場合があり得るわけです。つまり被疑者が
逃走し、もう捕まえようがない、しかし被害者を救出できる。もし被疑者を捕まえようとすれば
被害者が死んでしまうという極端な例で、どちらを採るか、ぎりぎりになった場合、警察はどち
らを採るかといえば、みんな間違いなく被害者の救出を採るだろうと思います。それによって被
疑者に逃走されて、もう捕まえようがないとなっても、おそらく日本の警察は被害者の救出を優
先するだろうと思います。
 そういう考え方がどこから来るのかということになりますと、先ほどから申し上げているよう
に、警察法の考え方からそれが出来る。警察法の目的を担っている警察官の捜査であるからこそ、
それが出来るということになるわけです。もちろんそれで令状を取って中に入るというのは刑訴
法上の権限ですけれど、単に刑訴法上の権限ではなくて、“刑訴法上の権限を189条第1項によ
って、警察法の定めるところによって行使していい”という考え方があるからこそ、それが使え
る。つまり189条1項というのは、そういう意味では大変重要な規定になっているわけです。そ
のことを一切今まで誰も説明していないのは、おかしい、間違えている。そのことによって、警
察法と刑訴法の両方の調整をこの189条1項が行っているのだと捉えるべきだと考えております。
質問者 海上保安庁に出向した時に、いわゆる200海里問題があって、法制局と色々と議論をし
た。その時に、海上保安庁法も警察法とよく似ているけれど、警察法の解釈で権限の説明をやっ
たら、法制局は、海上保安庁法は組織法だけで、権限法は含まれていない。警察法は組織法だけ
— 32 —
ではない、権限法も入っているのだ、との話でした。だから公安事件は警察法2条に基づいてと
いうことがよく裁判の判決になって出てくるわけです。警察法は非常に変わった組織法だと思い
ます。
講師 ですから、各条文に書いてあることを規定した上で組織を定めると書いているだけであり、
単純な組織法ではないのです。
質問者 関根さんも佐藤さんもそのように言っていて、法制局長官さえ警察法は理解できない。
だから、我々が書かなければ駄目だとよく言っていました。戦後、警察法を2度目の改正をした
ときに担当した渋谷さん、宍戸さんたちは命を縮めるほど苦労されたとの話を聞いています。
 横井大三さんは裁判官出で、捜査の経験は少ないようです。
質問者 裁判例も確か警察法が権限法というか、むしろ責務法という形で、それを根拠にして不
作為という形で、あるいは不十分という形で警察当局に対して損害賠償請求を認めたという裁判
例もありますので。
質問者 例えば最高裁の裁判例で、自動車の一斉検問の判例がありますね。あれは、一斉検問そ
のものは警職法にも道交法にも根拠がないけれど、警察法2条で交通の責務、警察の責務がある
から、一応あれを根拠に、最高裁の判例は非常に理解が難しいのですけれど、交通事故の多発す
る場所等において任意の協力を前提に行うに限り適法であるという言い方をしていますよね。あ
の辺りとの関連で考えると、警察法2条を根拠にある程度、一斉検問の根拠規範がなかったとし
ても、ある程度、発動の裏付けにはなり得るという理解。少し異色な法律で、側面のところが単
なる組織規範とも言い難い。やはり異色の変わった性質がある。
講師 いや、私は異色と思わないです。組織を定めると書いてありますけれど、各条に正に職権
行使関係の規定があり、その職務範囲をこうだと定めていて、あれは正に権限規定なのです。組
織論ではないのですよね。だから、そういう規定がきちんとあるわけですから、あるのだなとい
うことさえ確認して、それを前提に解釈をすればいいのであって、初めに組織を定めると書いて
あるから組織法だ、組織法だからこうだという論理を立てているのが間違いなのです。つまり逆
は必ずしも真ではないのですね。法律が実際こう書いてあるのだからこうでしょうと言えばいい
だけの話であって、私は難しいとは全然思っていないのです。
質問者 私は、現場の実務家の出で、今、ある大学で非常勤講師をやっているのですが、そこで
「警察の理論と実践」という授業を設定されまして、警察官になりたい学生に正に警察法の話を
しなければいけないという時に、色々な本を見ると、やはり組織法だというのが当たり前に書い
てある。警察の内部でもそう思って、警察学校でもそう教わって、それなのになぜここに管轄外
— 33 —
の活動があるのかとか、何キロまで行けるとか、こんな細かいことまで決めるのはおかしいだろ
うと思っていたのですが、法制局ですら理解できない難しい法であるということと、それからい
まのお話を伺って得心がいったということです。
 生活安全部門で考えるのは、誰も被害者になりたくない。交通事故の被害者にも加害者にもな
りたくない。災害が起きたら最小にとどまりたいというのが国民の理解なので、それを提供する
のが警察の仕事だということを学生に常に伝えているので、先ほどからのお話を伺って、このま
またぶんストレートに学生に言っても理解できないと思うのですけれど、もう少し柔らかくしな
がらお話ししたいと思いました。どうもありがとうございました。
質問者 関連して、私もお話しの内容について同意をするという前提で、若干申し上げてみたい
と思います。A+Bという考え方、レジュメ1ページを見ると、Aが犯罪の予防・抑止で、Bが
公判のための事件措置、いわゆる狭義の捜査という理解でよろしいのでしょうか。そうすると、
わざわざA+Bと言わずに、警察法2条に個人の生命、身体、財産の保護と、犯罪の予防、鎮圧、
捜査によって公共の安全と秩序を維持すると書いてあるわけですよね。そうすると犯罪の予防、
鎮圧、捜査ということが警察の責務なのだ、それは警察法できっちり書いてあるのだという程度
の話ではいけないのかどうかという質問ですけれど。
講師 今、おっしゃったのは、警察法2条1項の任務規定を説明されているように思うのですが、
私が考えたのは少し違っていまして、2条1項でいう捜査とは何だという時に、ご指摘は、2条
1 項に書いてあることが並んでいる一つとしての捜査という捉え方ですよね。私が申し上げてい
るのは、警察法の目的は、警察法1条の個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持す
るためという警察の目的に対する任務として2条1項の責務、任務として捜査があるのだろう。
つまり、そこでいう鎮圧であろうが、捜査であろうが、ほかの予防もそうですが、すべて警察法
の1条の目的を達成するためのものとして捉えるべきだろうと考えています。
 なぜA+Bを言うかというと、先ほど言いましたように、関根さんはまさにあなたと同じよ
うな考え方で、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するための捜査だというこ
となのですが、全然間違ってはいないのですけれど、非常に漠とした話になって、いままでは公
判のための立証をやるのが捜査だと、みんな非常に緻密に考えているときに、公共の安定と秩序
の維持で何をやってもいいのかという誤解をしてしまいかねないものですから。そうではなくて、
同じことを言っているに過ぎないのですが、私が言いたいのは、いままで考えていたのがBとす
れば、Aというのは、捜査である以上、事件という枠組みは間違いなくあるわけです。ですから
その事件に対する被害拡大を抑止するとか、事件の被害者を救出するとか、そういう一番捜査と
してふさわしい部分を、A全体を全部入ると言うのではなくて、犯罪予防を全部やりますと言っ
ているわけではなくて、その中で事件という範疇から捉えて、正にふさわしいAの部分を、捜
査の目的として捜査指揮官が捉えて対応すべきだと、ある意味で限定して言っているつもりです。
— 34 —
質問者 私自身は2条の個人の生命、身体、財産の保護のために犯罪捜査をやると。そういう形
をやれば、例えばいまの人身安全関連事案に対してこのようにやらなければいけない、あるいは
オレオレ詐欺に対して捜査としてこのようにやらなければいけないということが出てくるのでは
ないかと思っているのですが、どうでしょうか。
講師 それはそれぞれが考えればいいと思いますが、私の考えは、先ほど申し上げた通りです。
質問者 捜査部門は、当時、逮捕して起訴することに偏ってしまうという傾向にありました。捕
まえて起訴しないと評価されない。本当はそうしなくても国民のためになることはいっぱいある
のです。保安部門に行ってそれは非常に勉強になった。その1つが霊感商法の事件でした。宗教
が絡んで人の弱みに基づいて金を取ると、なかなか詐欺では立件が難しかった。
 当時の保安部長から「民事不介入など甘いことを言うな。警察から相手に、人の弱みに付け込
んで金を取るなど真面目な宗教団体に許されるのか、と強く申し入れしなさい。」ということで
早期に被害を回復し、霊感商法事件は収束していったのです。
質問者 保安部と捜査部門というお話が出ましたので、刑事局の「先住民族」として、ここでも
一言。警察は厳正公平・不偏不党という立場を遵守し、思想信条の自由は尊重する立場を遵守す
べきです。日本の警察はその立場を守っています。政治と宗教が絡む刑事事件を警察が捜査し、
特に不起訴になった場合などは、警察の「弾圧」という言葉で警察捜査が批判されがちです。そ
こで、表現が難しいのですが、政治や宗教が絡んだ事件に対して「過度に抑制的」というか、端
的に言えば「極めて消極的」な姿勢の幹部もいた、いるのではないかと思います。政治や宗教が
絡んだ事件の捜査には他の事件にはない留意・配意というか、慎重な姿勢が求められると私は考
えますが、政治、宗教が絡むものであっても検挙すべき刑事事件に対しては積極的に捜査すべき
は当然です。「霊感商法」というお話がありましたが、大阪府警本部長在任中、他県に本部を有
する宗教法人を舞台とした霊感商法に対して大阪府警の捜査員が積極果敢かつ緻密な捜査を展開
し、当該宗教法人の役員多数を逮捕検挙し、検察も宗教法人幹部多数を起訴してくれ、有罪判決
も出ました。そして、宗教法人法には、「解散命令」ということが定められています。つまり、
宗教法人法第81条は、裁判所は、宗教法人について「法令に違反して、著しく公共の福祉を害
すると明らかに認められる行為をしたこと」等に該当する事由があると認めたときは、所官庁、
利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。」と定め
ています。宗教法人が「法令に違反して、著しく公共の福祉を害することが明らかに認められる
行為」「霊感商法」などはその最たるものと考えますが、それを犯罪として捜査を尽くし、宗教
法人の役員多数が検挙・起訴され有罪判決が下されれば、法律の上では「解散命令」という伝家
の宝刀を裁判所が発動できるのです。そういったことからも、宗教法人を舞台とした霊感商法も
積極的に、かつ、緻密に捜査して検挙し、起訴・有罪判決を獲得すると大きな意味があると考え
ていましたが、検察官が裁判所に解散命令を請求しないので、大阪府警本部長名で所官庁である
— 35 —
他県の知事に対して「解散命令を裁判所に請求するよう」にという要請文を出しました。
 なお、宗教法人だけでなく、他の法令でも検察官は「公益の代表者」ということで様々な権限
が与えられていますが、警察、警察本部長にはそういう権限がないことに残念な思いを持ったこ
とが警察の第一線現場で何度かあります。
講師 最近、私が感謝された例がありまして、ある県で連続自動車窃盗を8グループがやった事
件があったらしいのですけれど、検察が全容解明をしないと事件化には反対だと言っていたらし
いのです。それに対して1グループが判ったらしい。1グループだけでもやりたいと言って、検
察と警察が対立したらしいです。そうしましたら、そこで実は小野さんの書いた「日刊警察」の
検察捜査と警察捜査は違うという記事をコピーして捜査員みんなに配って意思統一して、それで
やりましたと。そうしたら1グループと思っていたら、それはほかのグループとも全部つながっ
ていて全部解明できて、全体を抑え込むことができました、ということを言っていた例がありま
した。それを聞いたときは一生懸命書いた甲斐はあったなと思ったのですけれど、そんなことを
最近聞いたものです。
質問者 後でこの本を購入して拝読したいと思うのですけれど、先生が冒頭に言われた藤田教授
に対する批判ですが、それは藤田教授のどのあたりの論点に対するものですか。
講師 警察の権限の行使に関して、ほかの官庁の権限と競合する場合、警察は引くべきだと彼は
主張されています。それは警察法が戦後制定された経緯に鑑みて、補充性の原則というのがある
ということを言い出して、だから権限が競合する場合に警察は1歩引け。相手の行政庁がやらな
い場合はやっていい、やる場合にはむしろ引くべきだということを彼は主張したのです。それは
警察の権限がほかの官庁に分散されたという、事務が変わったということを根拠にしているので
すけれど、事務分掌がそのように分散されることと、現場において適用事案で権限を行使するか
しないかというのは別の話です。関係ないのです。それを彼は混同して一緒にして、警察はそう
いうときは引くべきだと主張しました。
 もし本当に引くべきであれば、権限行使を相手官庁がやらない時はしていいというのも私はお
かしいと思いまして、揶揄もしたのです。もし本当にそういう議論が戦後、立法意志があったと
するのであれば、権限を行使するかどうかはその官庁に任せられているはずなのです。行使する
こともあるし、行使しないのもその官庁の判断ですから、行使しない時は警察が行使していいと
いうこと自体が論理としておかしいのです。また、国家行政組織法の2条だったか、権限が重な
る時は調整しなさいと書いているのです。つまり調整をしなさいと書いているということは、権
限が現場において競合するのは当然あり得るということを前提にしている。もちろん権限を行使
するかどうかは法律事項ですから、法律でこちらの官庁の権限を優先しますと書くことはもちろ
ん可能です。そういう規定もあります。それはそれでいいのです。そういう規定がなければ、権
限行使は国の要請であり、国民からの要請であり、こういうことをしなさいと言われている時に、
— 36 —
しないで済むという論拠はないのです。調整を必要とするのであれば、調整をすればいいだけの
話です。
 ですから法律で優先を明記していないのであれば、関係官庁間で協議をして協定を結ぶ場合も
あります。現場で調整する場合もあります。それから、救っていただくべき被害者といいますか、
国民が自由に選択しても、協力させてもいい話でもあります。ですから、色々なことがあってし
かるべきなので、警察は表に出るべきではないという議論こそ間違えた議論であろうと。元最高
裁判事が言うべき論ではないと思いまして、そこはだいぶ厳しく書きました。
司会 ほとんど時間となりましたけれど、そのほか何かご意見ある方いらっしゃいますか。それ
では以上をもちまして、きょうの例会を終わりたいと思います。小野さんにもう1回盛大な拍手
をお願いします。
《参考》本講演関係の講演者著作等
〇 『警察の真髄』小野正博著 啓正社
〇 小野正博著作  ブログhttps://sakuhinono.blogspot.com/
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警察の真髄目次
PART1警察組織の真髄――失敗の許されない警察官は、どのように立ち向かうべきか
はじめに
1警察官の仕事はまことに難しい
2神ならぬヒトは、かなり誤りやすい
3経験知・能力を高める―何のために学ぶのか!
4神ならぬ警察官が誤らないためには
5組織で仕事をすることの意義―真に個人を生かす
6組織管理者に求められているものは
7最低の管理者とは、最高の管理者とは
8アメリカの失敗
○市民から感謝されない
PART2警察政策の真髄――アメリカの失敗を踏まえ、日本警察の政策の根幹はどうあるべきか
はじめに
1米の検挙一辺倒の方策は日本警察にも悪影響を与えた
2日本警察の基本政策は何か
3犯罪等多発の問題性と対処
4自力本願、他力本願
○犯罪を甘く見てはいけない①犯罪多発に苦しみ方策を誤ったアメリカ
○ロンドンよ、お前もか!
PART3警察存在の真髄――警察は何のために存在するのか、どうしたら国民に信頼され得るのか
はじめに
1警察への信頼の基調は厚い
2警察活動の根幹、〝エトス〟は輸入品ではない
3二宮尊徳と小田原藩重職らの共通規範
4上杉鷹山「伝国の辞」
5保科正之はなぜ江戸城天守閣を再建しなかったのか
6戦国大名と領民の間の〝黙契〟(社会契約)
7日本警察のエトスは、万民の望んだ武士の規範の上に創設
8警察の有り様は国により様々
9日本警察の存在意義―〝無用の用〟の構造
○皇居の空を見上げて
○警察政策の基本②日本警察はどこから来たか?
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PART4警察捜査の真髄(理論編)――警察捜査の真髄を、一線の刑事も含め多くの関係者が見誤っている
はじめに
1警察捜査の目的、内容は検察捜査を超えるもの
2警察捜査の根本は警察法によって授権されている
3警察捜査は、警察法、刑訴法の双方を満たすものでなければならない
4反論に応えて
5警察捜査は刑訴法上も承認・許容されている
6刑訴法第189条第1項の意義
○行政としての警察捜査①検察捜査とは異なる警察捜査
○行政としての警察捜査②国民等のための捜査機関の誕生!
PART5警察捜査の真髄(実務編)――「司法警察論」は理論的に破綻、〝A+Bの警察捜査〟を行うべき
はじめに
1部内でも警察捜査を誤解している人が多いのは何故か?
2横井大三氏の論への批判
3事例から見る警察捜査
4エピローグ…戦前の警察捜査とは?
○行政としての警察捜査③刑事訴訟法も承認する『警察捜査』
○行政としての警察捜査④質問に答えて
○行政としての警察捜査⑥『蹴散らし捜査』を知ってますか?
PART6警察捜査の真髄(作用編)――警察捜査は、捜査の機能、成果を犯罪等の抑止に生かすべき
はじめに
1独立捜査権の意義
2行政としての警察捜査―国民等の安全を図り安心させる捜査
3事件、事故の原因の解明と速やかな公表の務め
4自動運転への懸念
5警察捜査等を律するもの
○行政としての警察捜査⑤警察捜査を世に活かす!
○犯罪を甘く見てはいけない②1人の犯罪者が政権を崩壊に至らせたベルギー
○犯罪を甘く見てはいけない③BREXITは何故起きたのか?
PART7組織犯罪対策の真髄――警察は組織犯罪にどのように立ち向かうべきか
はじめに―憲法秩序の中で
1広い関心のアンテナを
2深い視察
3情報の自己決定権説等への批判
4極左暴力集団対策の戦略
5暴力団対策の戦略
6組織犯罪対策の戦略一般
— 40 —
7国際テロ対策
○日常から考える新たな方策
PART8地域警察の真髄――地域警察は日本の特質…その重要性をどう生かすか
はじめに
1日本警察の総合力
2警察政策としての地域警察の意義
3地域住民、コミュニティ側から見た地域警察の意義
4安全行政全体における地域警察の未来
5交番、駐在所の統廃合について
○『私も納得して取締りをしたい』
PART9犯罪等予防の真髄(基盤編)――犯罪や事故を予防する論拠の明確化を
はじめに
1犯罪等予防・抑止の本質
2犯罪等予防・抑止の主体
3警察の犯罪対処能力は
4犯罪等予防・抑止における警察の役割
5他行政との競合について
○警察政策の基本①国民からの要請が出発点
○警察政策の基本③犯罪等を予防しているのは誰か?
PART犯罪等予防の真髄(展開編)――国民等の自助・自律を踏まえた警察活動
はじめに
1歴史的経緯
2予防方策の展開
3警察官の行動面からの取り纏め
4警察の社会的予防方策
○イチロー好き
○王道を歩む富山県警察
PART犯罪等予防の真髄(協働編)――企業と学校を例として
はじめに
1企業論を巡って
2企業との協働
3学校との協働
○畏友故吉田英法君のこと
— 41 —
PART『警察の真髄』総論――自己利益の追求行動に神の手は働かない
1人間の為せる業
2警察の仕事
○『無用の用』の構造
『警察の真髄』〈要約版〉
あとがき
— 42 —
()第3種郵便物認可
3 19 11火9 1

今回は、その顛末をお伝え
することにします。
 
司法警察論から出発
 
若い頃、私も真面目な法
学徒でしたので、学者等の
著す刑事訴訟法の捜査部分
の解説を鵜呑みにしており
ました。司法警察職員とし
て刑事訴訟法に基づき、検
事と同様、捜査は公訴の提
起、追行のために行うのだ
な、捜査と行政は峻別さ
れ、司法警察と行政警察は
根拠法も目的も異なるのだ
な、と従来通説とされてい
る「司法警察論」を前提に
考えていたものでした。
 
ですから、入庁数年後、
関根謙一企画審査官(当
時)から「警察捜査は、警
察法第
1
条の目的に従って
行われるものであり、その
範囲は通常捜査目的とされ
る範囲よりもずっと広い」
とお教えいただいても、な
るほどとは思うものの、捜
査法の体系の中にどう位置
付けるべきなのか今一つ合
点がいかない状態でした。
 
司法警察論では対処でき
ない
 
実感として、司法警察論
では対応できないと思い知
らされたのが、悪質商法を
担当する生活経済課(当
時)の理事官となったとき
でした。豊田商事事件の大
規模さに捜査側が既に圧倒
されていたばかりか、内偵
密行主義を採り全容の解明
に努める通常の〝まとめ
る〟捜査では、動きの速い
悪質商法に対し、その実態
を解明している間にも被害
が拡大してしまい捜査着手
は更に出遅れたものとなる
等対抗困難でした。
 
これに対し漆間英治保安
部長(当時)の掲げられた
〝蹴散らし捜査〟の手法
は、捜査の中心に広報措置
を据える等発想が斬新で、
悪質商法に的確に対応し被
害拡大をくい止め得るもの
であり、正に目を開かれる
思いが致しました。
 
考えてみれば、警察は、
誘拐事件等においても、刑
事訴訟法からは全く要請の
無い行政目的とも言うべき
〝被害者の無事救出〟を最
重要の課題として捜査指揮
を為し捜査に励んでいるの
です。捜査目的に行政目的
を介入させるのは、刑事訴
訟法に反する捜査の濫用と
非難する学者もいたはずで
すが、この無事救出につい
てはマスコミは当然のこと
のように強調しており、現
実と理論が全く乖離してい
る有様でした。さらに、桶
川ストーカー殺人事件での
担当刑事達に対する厳しい
非難も、「司法警察論」の
立場とは全く相容れない
〝被害者の救出・保護〟を
中心とした非難であり、む
しろこの「司法警察論」こ
そが、刑事達が被害者のた
めに行動することを阻んで
いる桶川事件の根本原因で
はないか、と考えるに至り
ました。
 
司法警察論違法説へ
 
一体どのように考えるべ
きか? 私は、平成の初め
頃から、全国の警察官が現
場で行う日々の警察捜査の
理論化について模索を続け
ました。
 
平成の半ば頃には、従来
の「司法警察論」は、刑事
訴訟法第1 8 9条第
1
項の
本来の解釈を枉げた横井大
三氏の主張であり、その主
張は、刑事訴訟法上、検察
官や特別司法警察職員等の
捜査主体の中で、警察官の
み同法上の権限を行使でき
る管轄区域を法定しない
〝法の欠缺〟をもたらす違
法解釈を根拠とするもの
で、彼の解釈は、その欠缺
を誤魔化した辻褄の合わな
い説であり、実定法の解釈
論として採り得ないもの、
と見えて参りました。
 
行政としての警察捜査
 
警察捜査は、関根氏の言
う通り警察法第
1
条の目的
に則して執り行われるべき
ものであり、すなわち、公
判の提起・追行のための手
続き=Bの側面に加え、被
害者の救出、被害の極小
化、被害拡大の防止等=A
の同条の目的から由来する
責務も併せて果たすべきも
のでなければならず、さら
に、刑事訴訟法第1 8 9条

1
項の「他の法律」に警
察法が入っていると解釈せ
ざるを得ないことによっ
て、同項に拠り、A+Bの
警察捜査、すなわち『行政
としての警察捜査』が刑事
訴訟法上も承認されている
と解されるとの結論に至り
ました。
 
このように解して、漸く
現場で行っている被害者救
出や被害の極小化、被害拡
大防止を図る、行政目的と
して捜査理論上顧みられな
かった部分を含む警察捜査
全体の法的位置付け・適正
性も明確となり、また公安
委員会規則を含めた法定手
続きによるコントロールも
徹底できるものとなると考
えられます。
 
更に言えば、警察捜査
が、昭和
22
年(旧)警察法
制定により独立捜査権を得
た意義も、単なる独立に留
まらず、従来の検察を中心
とした「公判のための捜査
機関」の範疇を超えて、国
民等が警察法を通じ要請し
ている犯罪等に遭わないよ
うに、もし遭った場合は被
害をなるべく受けないよう
に等の要請にも応えるべき
「国民等のための捜査機
関」として、警察が明治以
来初めて意義付けられた点
も、より明確に出来ると考
えます。
 
発表に至るまで
 
しかし、「司法警察論」
は、最高裁判事まで上った
横井大三氏が、昭和
23
年の
刑訴法改正を担った先輩宮
下明義氏の説を覆して、同
30
年頃から主張し出したも
ので、刑事訴訟法にも警察
法にも違背している説であ
るにかかわらず、検事総長
として有名な伊藤栄樹氏ほ
か検察の面々が挙ってこれ
を解説書等に踏襲し、刑事
法学者の面々も鵜呑みにす
る人ばかりの状況にありま
した。
 
また、私も警察内で徐々
に重いポストを担う立場と
なり、この段階で司法警察
論違法説を唱えて批判しま
すと、私個人の論ではなく
警察組織を代表する主張と
一般からは受け取られ、冷
静な議論に留まらず、現場
で組織間の軋轢が生じた
り、偏見の強い学者の方か
ら見当違いの批判が生じた
り、マスコミがそれらを面
白おかしく取り上げ、返っ
て無用の誤解や感情論に陥
り、警察組織に迷惑を掛け
かねないと判断しました。
 
一方、捜査現場を担う方
々の反応も知りたいことか
ら、幾度か生安部門、刑事
部門の全国会議や警察大学
校での現場幹部への各講義
の際に、具体例を挙げなが
らA+Bの警察捜査につい
て述べてみますと、「感銘
を受けた」「我々の捜査観
を代弁してくれた」等々反
響・支持は大変大きく意を
強くするものがありまし
た。そこで、批判部分を除
け梗概のみを『捜査研究』

20

6
月東京法令)に載
せましたが、本格的な議論
は、現役を退いてからにし
ようと考えました。
 
退官した後は、別の問題
が生じました。ある雑誌に
投稿すべく後輩でもある担
 
どうしてA+
Bの警察捜査論
を提示しようと
考えたのか?
と、最近聞かれ
ることが増えて
きましたので、
小野 正博
当責任者に原稿を見せたと
ころ、「通説に反している
から載せられない」と断ら
れ、また、主張の論拠の一
つに挙げたストーカー対策
への提言を「長官に対し失
礼だ、このようなものを書
くべきではない」と言われ
ました。理論的にも実務的
にも整合性のとれた警察捜
査の理論化を図る法的論義
に対し、いずれも〝忖度〟
レベルの指摘でがっかりさ
せられました。
 
そこで、『季刊
 
現代警
察』誌に詳細に連載させて
いただくと共に、本紙「警
察の灯火」欄でも順次説明
し、組織間の問題等を生じ
ることなく、多くの関係者
に徐々に理解を深めていた
だこうと努め、漸く出版に
まで至った次第です。
 
現在も、現場の刑事諸兄
は、Bにしか捜査の意義を
見出し得ない検事の指導を
受け、〝過去完了形〟の事
件ばかりを扱う部署にあっ
て、Bにしか関心を示さな
い方も多いのではないかと
拝察します。どうか、警察
捜査の意義を再度噛み締め
て戴きたいと存じます。
 
お読みいただき有り難う
ございました。
(日本交通管理技術協会
会長)
 
参照:拙著『警察
の真髄』
 
啓正社、小野正博
著作
h t t p s :/ / s a k u h in o n o .
b log spo t .com
/
    
元警察庁生活安全・
刑事担当官房審議官
「警察捜査論」顛末記
『警察の真髄』 (警察捜査関係部分の概要)
小野正博
1 警察政策の基本
出発点=国民等は何を望んでいるのか?←国民主権/警察法の目的
◎“二段構えの方策”・・・まずAで治まるのが理想!それで治まらねばA+B
 (A= 予防・抑止  B=公判のための事件措置等)※行政警察規則第4条
◎現行法における根拠…警察法をはじめ各法の目的規定に「安全」、「防止」等明示
→国民の望みは、まず犯罪等の予防等Aであり、“全て世はこともなし”に尽きる
 =Aが第一義  ←法の本質(事前強要+事後強制)
→治まらない事態への対処は、A+Bの努力をすべし(Bのみではない!)
 ←警察法は、発生後の鎮圧、救助、極小化、拡大防止等も要請する(Aの一部)
◎歴史的検討
 現行警察法第1条←明治8年行政警察規則第1条←川路利良建議 ←?
 ・ 行政警察規則第1条 行政警察ノ趣意タル人民ノ凶害ヲ予防シ安寧ヲ保全スルニアリ
・行政警察規則第4条 行政警察予防ノ力及ハスシテ法律二背クモノアルトキ其犯人ヲ探索逮捕スルハ
司法警察ノ職務トス 之ヲ行政警察ノ官二於テ行フトキハ検事章程並司法警察規則二照ラスヘシ
 ・ 川路利良建議冒頭部分 「警察は国家平常の治療なり。…能く領民を保護し内国の気力を養ふ者なり…」
?仏・プロイセン警察法…公共の安全、秩序等、個人の安全、切迫する危険防止等 
〇武士の職務規範…“国民の安全を図り、その疾苦を除く”
 例 小田原藩重職と二宮尊徳  『報徳記』
   上杉鷹山「伝国の辞」
   保科正之の治政…玉川上水の件、明暦の大火の件・・・民生を第1とする
(江戸城天守閣を再建しなかった心)
←戦国武将の領地運営…徳川家康、武田信玄→“責務化”➡領民との黙契・支持
  ※武士の独りよがりではなく当時から責務化していたとみられる
→江戸時代からA→A+Bだった?
+明治の警察組織は武士階級出身者を中心に構成された!!
→武士由来の方針が隅々まで徹底し得た大きな要因 
⇒日本警察のエトスは、万民の望んだ武士の伝統的な職務規範の上に形成!!
→国民の安心・信頼・協力+厳しい目…和魂洋才の典型=伝統の力
?他国の警察・・・党派闘争・民族紛争、大荘園の私兵、軍隊等から派生→党派等の安全の優先
— 43 —
2 司法警察論批判
◎司法警察論は誤り…刑訴法、警察法に違背する論
△ 横井大三氏の解釈…刑訴法第189条第1項の「他の法律」について、当初は警察法を含むもの
とされていた(宮下明義氏)が、「現在別に法律はない」と解釈転換を図る
→司法警察論の論拠となる
 横井大三氏~「犯罪捜査は司法警察であり、基本は刑事訴訟法の規定するところ・・・」
→警察法への委任を否定し、刑訴法に基づき捜査すべしとするが・・・    
《反論》
①立論の根拠が刑事訴訟法に違背
・刑訴法第189条第1項 警察官は、それぞれ、他の法律又は国家公安委員会もしくは都道府県公安委員
会の定めるところにより、司法警察職員として職務を行う。
・刑訴法第190条 森林、鉄道その他特別の事項について司法警察職員として職務を行うべき者及びその
職務の範囲は、別に法律でこれを定める。
・刑訴法第195条 検察官及び検察事務官は、捜査のため必要があるときは、管轄区域外で職務を行うこ
とができる。
※旧警察法の制定は昭和22年、現刑訴法の制定は同23年 
※旧刑訴法では、第252条に検察官と共に明定されていた
◯ 刑訴法上の権限の行使範囲を定めることは法律事項であり、必ず法律上明定する必要がある・・・
旧刑訴法においても明定、新刑訴法において検察官等、特別司法警察職員について明確に規定
→警察官についてのみこれを否定する解釈転換は、不可能
◯ 検察官、特別司法警察職員の刑訴法上の権限の行使範囲については、刑訴法上明確に規定しあ
るいは他法に明確に委任しているが、刑訴法第189条第1項の 「他の法律」 に警察法が入らな
いとすれば、警察官のみ刑訴法上の権限についての行使範囲が刑訴法上無規定となり、警察法
に委任してもいないことになる!
→ 法の欠缺状態を招くあり得ない解釈=違法解釈…宮下氏の解釈の転換を図ろうとするが、警察
官の刑訴法上の権限の行使範囲を“法の欠缺状態”にするもの
②刑訴法解釈の論拠がごまかしに過ぎず、解釈論として成立していない! 
・横井氏は、ポケット刑訴195条の解釈の冒頭、警察官の管轄区域外の職務執行について、突然
警察法の関係条文を示し、刑訴法上の権限について行使範囲を説明したつもり?
〇 自ら警察法への委任を否定したはずが、警察法を根拠に刑訴法上の職権を行使すると言う?・・・
条文ごとに解釈の論拠が変わる?自らの主張を自らが否定?ご託宣?
 ごまかし?警察法に委任する根拠はどこにあるのか?
— 44 —
⇒横井氏の解釈は誤り、破綻!→司法警察論の根拠が崩壊
③立論が警察法に違背
〇 警察捜査は、警察法に拠り授権されている→警察法の目的に則して行われる必要+国民からの
要請も同様となる→A+Bの捜査
・ 司法警察論はBのみを指向するもの=検察捜査と同様のもの・・・伊藤栄樹氏ら検察出身者の解
釈は、これを踏襲~明治以来の建前上の考えに固執
←警察捜査は、それでは済まない!国民からの要請に対処出来ない!
 例; 誘拐事件、人質事件、悪質商法、毒入り餃子事件、桶川ストーカー殺人事件等々
〇 警察は、「公判のための捜査機関」 を越えて『国民のための捜査機関』とならなければならな
い!・・・警察法に規定→A+Bの捜査でなければ、国民は納得しない
〇 警察法の解釈の誤り・・・「単なる組織法」 では無く、警察捜査の授権根拠、目的を規定、行
使範囲の規定、運用・手続きの適性を下位法令で規定可能に等々
《結論》
◎ 刑訴法第189条第1項の「他の法律」に警察法が入り、同法に委任していなければならない
・・・ 刑訴法制定時の公定解釈であり、法律事項の必要性に明示的に合致
⇒ 刑訴法上の権限行使について警察法に委任し、同法の定めるところにより行うことを可能にし
ている!
◎ 警察捜査は、警察法に拠り授権され警察法の目的を達成すべきもの
⇒ 警察法に拠りA+Bの捜査を行う中で、刑訴法上の権限も行使し、その目的Bも達成すればよ
いと解される‼+刑訴法上も同項により承認されている!
?なぜ一線の刑事をはじめ、警察捜査をBのみと誤解してきたのか
← 横井・伊藤氏らの影響+検察官の講義+検挙専門部署の悪癖(‘検挙の自己目的化’)+‘過去
完了形’の事件ばかり扱う専門部署の弊害(捜1課、捜2課の殺人、贈収賄等・・・A+Bの
Aからの要請が少ないために、Bのみのプロを目指すべきものと誤解)
※司法警察論の弊害…罪深い論
→ 事後的検挙中心主義に陥る…国民の要請を無視、アメリカの失敗、オレオレ詐欺へ無対処等
→ 検挙以外は刑事の仕事では無い、起訴に至らない事件を捜査する必要は無い
 …桶川ストーカー殺人事件の根本原因、暴力団内部抗争等でも緩み
— 45 —
3 警察捜査論(まとめ)
←何のための捜査か?(起訴・公判維持、秩序の回復、国民等の安全確保、被害極小化等?)
◎警察捜査は、警察法第1条目的を達成する捜査でなければならない!!
(関根謙一氏の年来の主張)
→ 警察捜査=A+Bの捜査(Bに併せて、被害者の救出、被害の極小化、被害拡大防止等=Aの
1 部(=国民等の念願するもの)も行うべきもの)
←吉展ちゃん事件、豊田商事事件、桶川ストーカー殺人事件等々
 ・・・ 主たる反省点は、刑訴法から生じるものでは無い!
※検察捜査=刑訴法第1条目的の捜査=Bのみ…公判廷のための捜査機関と言える
・警察法第1条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念
を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定める
ことを目的とする。
・刑事訴訟法第1条 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全う
しつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
〈警察捜査の内容〉
A
B
全体…警察法の授権した警察捜査
   =警察法第 1条目的の捜査
A…警察法の授権で生じる固有部分
B…刑訴法第1条目的の捜査と同様部分
◎ S22年警察法制定以来、警察法が警察捜査の授権根拠←中央集権たる検察官の捜査指揮権の
排除・初めて警察へ捜査権の授与
+ S23年刑訴法も、同第189条第1項により、警察捜査の意義を承認している
+ S29警察法においてS22警察法前文の趣旨を第1条目的規定とする→完成!
→ 独立捜査権+『国民のための捜査機関』 が明治以降初めて成立した!
…“行政としての警察捜査”と呼称したい
→組織捜査が必要な理由・・・検察捜査より複合的捜査が必要かつ迅速性、より難しい
4 行政としての警察捜査(=A+Bの警察捜査)の効果
←A+Bの捜査を立論する重要ポイント!!
— 46 —
◎警察捜査の機能・捜査成果の活用
→現状の救済、被害の極小化等
“蹴散らし捜査”、広報措置の活用、被疑者の説得、被害者の救出、被害拡大防止等々
+将来の犯罪等の予防・抑止への活用 !!
…公判に縛られすぎる現状
→捜査分析・結果等の組織的・戦略的活用・公表等に転換すべし!!
… 公判の維持・遂行も重要だが、Aも捜査の目的とする以上、現状・将来のAに貢献すべきは当
然で警察の責務に当たる!!←警察法により授権される警察捜査
 ※刑訴法第47条にすら同様規定あり
→他機関は速やかに原因を公表し対策を採っている、警察も同様にその責務を果たすべき!
 例 渋谷シエスパ爆発事件、?長野軽井沢バス事故事件、◯警視庁DV結愛ちゃん殺害事件
 今後、自動運転車を巡る事故捜査の深刻な問題も
→ 捜査情報・データを将来の予防、事故防止対策へ大胆活用を、また、公安を含む組織犯罪対策
等に出来るだけ活用すべき、さらに、内ゲバや内部抗争、DV等へも的確に対処すべきもの
・・・ 秩序の維持、被害者の安全の確保等の観点からも対処すべき
(起訴・不起訴の判断のみで対応することは誤りを生じ得る)
→ 警察庁において、方針、公表の基準、調整等明確化し、データの集積・分析・活用についても
戦略的に取り組む必要
— 47 —



1 8
第3種郵便物認可
に、公訴の提起・追行のた
めの手続 =Bのみの検察
捜査とは大きく異なり、警
察捜査は、警察法に基づ
き、国民等の安全等を確保
する活動の一環として、被
害の極小化、被害拡大防止
等=Aも併せて実現を目指
すA+Bの捜査を行うべ
きです。すると、その活
動内容も随分変わってきま
す。
《公判の見通しが立たなく
とも捜査を徹底する場合が
出て来る》
一緒に仕事をした事のあ
る関西在住の警察O Bから
伺った件ですが、白昼繁華
街で暴力団員が集団で仲間
の暴力団員を暴行し車のト
ランクに押し込んで逃走す
る事案が起きました。一般
人から1 1 0番通報が為さ
れ、緊急配備の結果当該車
両を確保したそうです。当
30
22
『行政としての
警察捜査』シリ
ーズも、今回が
締めとなりま
す。前回(
5

日付本紙)申
し上げたよう
該暴力団員達は、仲間内の
ことだから自分達で話を付
けると主張し、警察本部暴
力団担当課の中にも、被害
届を出さない以上公判維持
が困難と、これに同調する
意見も出たそうです。しか
し、起訴するかどうかは検
察に任せるが、警察は絶対
に管内で無法狼藉を許すわ
けにはいかない、暴行、逮
捕監禁で逮捕の上、暴力団
事務所、上部団体本家のガ
サをせよ、治安維持の責務を
全うし捜査を遂げて検察に送
致せよ、と署長判断として
方針を定めたとのことで
す。Bしか考えない頭から
は出てくるはずのない正し
い行き方と言えるでしょ
う。
これは、暴力団等ばかり
で無く、革命集団の内ゲバ
や制裁でも、閉じられたコ
ミュニティや会社・学校内
での暴力やいじめ等にも共
通する問題です。警察官
が、Bだけのための捜査、
つまり起訴されない捜査は
行っても意味が無いと単純
に狭く考えてしまうと、警
察は治安判断をあちこちで
誘拐事件、人質事件等の
捜査において、被害者の無
事救出を最優先の課題とし
て取り組むべきことは、言
うまでもありません。ま
た、企業対象暴力事犯に対
して、企業と暴力団等との
関係を断ち切り、企業の健
全性の確保、企業取引の正
常化を図る事を念頭に事件
化を図ることも、同様に重
要な任務と言えましょう。
悪質商法やオレオレ詐欺
等への対応において〝蹴散
らし捜査〟のように迅速な
広報措置等を組み合わせ、
悪質業者の足を止め、一般
の方の注意を喚起し、また
〝騙されたふり作戦〟のよ
26
6火
元警察庁生活安全・
刑事担当官房審議官
行政としての警察捜査⑤
《被害者保護、被害拡大防
止、被害の極小化等に徹底
配慮した捜査》
誤り、被害者やその周辺
者、国民等から、「警察は
我々を守ってくれる存在で
はないのか」、「不法集団に
手を拱くのか」等の厳しい
批判に晒され、不審を買う
こととなるのです。無論、
事案ごとに慎重に検討し、
また、起訴等へ向け知恵を
絞るのも当然のことです。
小野 正博
警察捜査を世に活かす!
によります。(参考

『警
察の真髄』P A R T 5の
3
季刊現代警察1 5 1号
啓正社)
《加害の中止、悔悟、犯行
拡大抑止、説得》
警察は、犯行の過程にお
いても、また、被疑者の取
調べにおいても、情理を尽
くし、被疑者に犯行継続を
思いとどまらせ、犯行のエ
スカレートを抑止し、また
悔悟させ、真人間に戻す努
力をすべきです。交渉人等
の活動もその一環と言えま
しょう。この点もBのみの
捜査においては全く顧みら
れていませんが、A+Bの
立場からは、警察捜査の
重要な機能と言うべきも
のです。出来得れば(少
年犯罪については特に、)
常続的な犯罪等の抑止活動
と連動させ、加害者にも、
条には、公益上公表す
る例外があることを明示し
ています。)。警察はA+
Bの捜査を行う立場であ
り、検察とは立場が異なる
のですから、同種の犯罪や
事故の防止に繋がる捜査結
果に関する重要情報について
は、警察法に定められた自
らの責務を果たすために必
要があれば、公判の実施如
何に関わりなく、自らの責
任において(検事と必要な
調整をするとしても、)、関
係者に通知し、監督官庁に
伝え、一般の注意喚起のた
め公表する等の必要な手立
てを行わなければなりませ
ん。事件広報はするのに、
47
うに被害の防止と迅速な捜
査への協力をあらかじめ求
め対処する手法も、Bしか
考えない捜査からは出て来
ません。
最近D V法等が成立し、
家庭内の暴力等に対しても
被害者の保護措置・支援を
することは当然のことと理
解されるようになってきま
したが、これらの法律が存
在しなくても、警察は、被
害者の保護等を考えた捜査
等をすべきは当然のことで
した。私がストーカー対策
の方針変更を当時の長官に
進言したのも、同様の考え
また将来再犯者にもなら
ないように対処していけれ
ば理想です。(参考

同上
P A R T 6と
11

3

《将来の犯罪等抑止のため
に捜査の成果を活用する》
従来、警察は、公判担当
検事からの要請を受け、公
判重視の立場から、捜査の
結果について、同種の犯罪
や事故の防止に直結し得る
原因等であっても秘匿し公
益に貢献すべき務めを手控
える例が見られました。例
えば
28

1
月発生の軽井沢
バス事故なども、重大事件
にもかかわらず、外形的に
はその典型的な
1
例となっ
ています。検事は、Bのみ
を考える立場ですから公判
を優先させる要請をするで
しょう(それでも、刑訴法

将来の事件・事故等を防
止するため、捜査の成果や
犯罪等のデータを活用する
のも警察本来の大事な責務
なのです。例えば、道路等
の施設・設備を改良した
り、法令で定める安全基準
や操作手順の改定が必要と
なったり、監督措置を要し
たり、同業他社に注意喚起
し改善を要請したり、一般
利用者に被害に遭わないよ
う警告を発したり、さらに
過失等が発生しても重大事
故に至らぬよう措置を求め
たりと、捜査の成果を活用
しなければなりません。
しかも、渋谷シエスパ爆
発死亡事故においては、環
境省や都が事故原因を公表
し立法措置を含む対策を講
じ、火災事故や航空機事
故、製品事故においても消
防や事故調査委員会、国民
生活センターやNITE
(製品評価技術基盤機構)
等から原因等が公表され、
それが通例、公判に著しい
支障を生じることが無いこ
とは、すでに明らかと言う
べきでしょう。公判のため
に原因等の公表を控える必
要があるというのは、基本
的には〝神話〟に過ぎない
と私は思っております。警
察が、A+Bの捜査を行い
将来の犯罪や事故の抑止の
原因等の公表は、公益上公
表の必要性が高くても控え
るというのは、矛盾し誤っ
た対応です。
責務をも担いながら、現実
にそれを果たさないままで
済ましていることは許され
るべきものではありませ
ん。警察庁として、基準、
手続等を定め、各都道府県
警察が本来の務めを果たし
活用するよう、仮にも不作
為の責任追及を受けること
の無いよう、早急に対処
すべきです。(参考

同上
P A R T 6)
また、暴力団や暴力革命
集団等の今後の動向の分析
のために、捜査で押収した
資料や取り調べの成果を活
用できることも、A+Bの捜
査である以上当然のことで
す。検察捜査は、Bのみに
捜査目的が限定されていま
すから、公判以外での活用
に疑義が生じる余地はあり
得ますが、警察捜査におい
ては、捜査の成果をこれら
犯罪企図集団等の将来の犯
行を抑止するために活用で
きることに疑義が生じる余
地はありません。警察法の
目的に則り、犯罪等の抑止
と捜査を組み合わせて進め
ていくべきものです。
以上、一端を述べました
が、警察捜査は、安全を求
める国民等の要請に応え、
世の為に捜査の機能・成果
を活かすよう工夫を尽すべ
きものなのです。
お読みいただきありがと
うございました。
(日本交通管理技術協会会
長)
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警察政策学会資料 第111号
警察捜査の考え方
~司法警察論批判~
令和2(2020)年7月
編集 刑事警察研究部会
発行 警察政策学会  
〒102−0093
東京都千代田区平河町1−5−5 後藤ビル2階
電話 (03)3230−2918・(03−3230−7520)
FAX (03)3230−7007


淺利 大輔

あさり だいすけ

行政書士淺利法務事務所 代表

私は、警視庁警察官として32年間勤務し、そのうち25年間刑事(捜査員)をやってきました。さらにその中でも知能犯捜査関係部署(主として告訴・告発事件を捜査する部署です)の経験が一番長く、数々の告訴・告発事件に携わってきました。刑事部捜査第二課員当時は警視庁本庁舎(霞が関)1階にある聴訴室で、電話帳のように分厚い告訴状や告発状を持参して来られる弁護士先生方を毎日のように相手にし、ここで大いに鍛えられました。
これまでの経験を活かし、告訴事件の相談を受け告訴状をリーズナブルな料金で作成することで、犯罪被害者の方たちを支援できるのではと考えたからです。
「淺利に頼んで良かった」依頼人の方からそう思っていただける行政書士を目指していきます。

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